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 廊下はそれなりの広さがあり、加えて人通りが少ないために三人は並んで歩いた。
 長身二人に挟まれる形の和巳が「中学時代もっと牛乳を飲めば……!」と軽い嫉妬に胸を焦がしていたことは秘密だ。

「これから向かうのは、ここ――ヘルギウスに籍を置く教諭の執務室です」

 そう言うレリアの口元は、相変わらず緩やかな弧を描いていた。


title/偉い人


 再び歩き出した和巳たちの案内役は紅白もちから白衣の策士に変わっていたが、多分立場的にはあまり変化が無い。 それぞれに和巳たちの行動に制限をかけているのだから。
 ため息をつきたくなる程度には暗くなる気分を、少しは持ち上げようと和巳は再び周囲を観察する。
 よく見てみると壁の、扉の無い入り口と入り口の中間あたりに小さな突起があり、その上には受け皿のようなものがあった。
 夜になると蝋燭でも立てるのだろうか。
 だとしたら電気は期待できないなぁ……と、電力に頼りっぱなしの生活を送る現代人・和巳としては気落ちせずにいられない。

「お二人は、この近辺ではあまり見かけない顔立ちですね。少なくともこの国の出身ではないでしょう?」

 唐突な質問だった。
 それは穏やかな声だが、問いかけというより確認に近い響きで和巳に向けられる。
 隣で大和が小さく肩を揺らした(そしておそらくレリアは気付いた)。 しかし、彼女はあくまで和巳の瞳を見ながら言っていた。
 ――この女性は和巳を試している。
 くいっ、と、心持和巳はあごを上げた。背筋を伸ばす。

「はい。その前にここはなんという名前の国ですか」

 歩きながら、和巳もレリアの瞳を真っ直ぐ見返して答えた。
 嘘をついても得をすることは無い。何よりこの場面で嘘をつくのは、負けず嫌いの和巳にとって屈辱だった。
 レリアは直球で返した和巳にほんの少しだけ驚いた様子だったが、すぐ笑顔に戻って問いに答えてくれた。

「ラトラナジュ、といいます。その他に聞きたい事は?」

 和巳はレリアから視線を外し、ラトラナジュ、と慣れない単語を口の中で転がして覚える。
 ラトラナジュ、このくにのなまえ。
 尋ねたいことは山ほどあったが、今聞かされたところで身にならないだろう。ここも素直に答える。

「沢山ありすぎてどれから手をつければ分からないくらいにあります」
「そうですか。少しずつ知っていけばいいと思いますよ。読み書きは出来ますか?」
「日本語なら。英語は少々」

 英検3級程度です。
 和巳の答えにレリアは少々顔を渋くした。

「聞いたことのない言語ですね。そもそも公用語以外の言語は、古代語、精霊語程度しか私も知りませんが」
「全部知りません。聞き覚えもありません」

 そういえば何故彼らと和巳たちの間で言葉が通じるのだろう。説明がつかない、不可思議。

「……そもそも、今自分が一体どんな言語で喋っているのかすらもわからない……」

 小さな呟きはレリアに届かなかったようで、彼女は首をかしげて和巳の顔を覗き込もうとした。
 和巳は何でもありません、と首を振ってレリアにに話の続きをお願いする。彼女は和巳が「何か」を抱えていると既に察しているのだろうが、 深く突っ込むことはせずにいてくれた。

「この国について語ることは簡単ですが、まずはあなた方の故郷についてお聞きしたいと思います」
「名前は日本。海に囲まれた島国です」
「では、大陸の向こう側から来たことになりますね。ここからだとどちらの方角に?」
「東の方にあります」
「東ですか……申し訳ないけれど、ラトラナジュは内陸国なので、あまり海の向こう側には詳しくありません」
「そう、ですか」
「大陸だけでもかなりの広さがありますから、わざわざ危険な航海に出てまで冒険しようという人間も技術もありませんし」

 それ以前に、この惑星には「日本」という島は無いのだと、何故かこのとき和巳は口にしなかった。





 廊下から見える景色は変化に乏しかった。しかし、それを補って余りあるほどに新鮮であった。
 扉の並ぶ反対方向は直接外と繋がっているが、それは「中庭」と呼ぶには多少の違和感がぬぐえない。
 群生している草木や花は統一感がない割りに不快ではなく、おそらく自然に茂るままにしてあるのだろう。

(いかに人間が空気を汚しているか、見せ付けられてる気がする)

 伸び伸びと育った緑は、それらが全身全霊で「生きている」ことを主張しているようで。
 整然として人工物で満ちた和巳たちの生活圏内では見られなかった植物の在り方を、美しいと思った。 しなやかな強さで魅了する。そんな美だ。
 和巳が風景に見とれていると、レリアの歩く速度が落ちた。目的地が近いらしい。

「ここです」

 レリアが手で示したのは、それまで通ってきた部屋となんら変わりない、扉のない入り口。一度足を止め「失礼します」と 声をかけると、あとはスタスタ入室する。返事もないのに良いのだろうか? それともこちらの慣習かもしれない。
 なんとなく入りづらいな、と考える和巳を余所に、弟は気概なく扉をくぐった。
 その図太さを分けておくれ。

「クレイオ教諭」

 一人立ち止まるのも間抜けなので大和の後を少し遅れて入室すると、部屋の真ん中ほどでレリアは立ち止まっていた。
 正面に向いた視線の先を追う。

 レリアに呼ばれて振り返ったのは、四十代後半とおぼしき男性だった。
 高血圧と糖尿病を心配したくなる体型を黒い服で包み、 額から若干後退し始めた金髪が陽の光でキラキラと輝いている――本物の金髪だ。
 前で合わせる詰襟の黒服は、和巳に牧師を連想させる。

「レリア女史。どうしたんです、こんな時間に……おや、そちらは?」

 クレイオ教諭と呼ばれた男性が、不思議そうに首をかしげる。いい年した大人なのに、中年男性なのに、何故だろう。その仕草に 違和感が全くない。
 よく見ると、教諭は愛嬌のある顔をしていた。

「諸国を放浪している私の遠縁が拾ってきたんです」

 私たちは犬猫か。そんな突っ込みは飲み込んでしまう。

「あぁ、以前仰っていた?」「はい」

 得心がいった様子のクレイオ教諭に、レリアは即答した。
 今の台詞の一体何パーセントが真実なのだろう。
 まず、強制的に連れて来ておいて拾われたと言うのはおかしい。仮にそうだとしても、拾ってきたのは紅白もち。彼らの間に遠戚関係が あるとは思えない。
 そしてなにより、『諸国を放浪している遠縁』というのが嘘くさい。本当にそんな知り合いが居るのかどうか疑問だ。
 だが根回しはしてあるこのソツの無さは賞賛に値する。策士が策士たる所以である。

(もしかして、いつもこんな事やってるのかも)

 彼女の手際が、あまりにも良すぎる。
 和巳は焦燥に駆られた。自信があるということは、慣れていると取れる。慣れているなら、その包囲網から逃れるのは困難になる。

「実は教諭に相談がありまして」
「私で力になれることでしたら、喜んで」

 教諭は躊躇いもなく和巳たちを受け入れていた。
 落ち着け私。和巳はゆっくりと首を巡らす。
 部屋には沢山の本棚があった。高校の教室と比べて約二倍の広さはある部屋なのに、半分以上が本棚で埋め尽くされている。
 相当読み込んだもの、新しい装丁のもの、様々な本が立ち並んでいたが、生憎と背表紙に書かれた文字は判読不能だった。
 窓から差し込む光が柔らかに部屋全体を照らす。床に敷かれた赤い絨毯には、成金や金持ちの持つ独特の嫌味がなかった。
 整理された机、書きかけらしいいくばくかの羊皮紙、小さなインク壺、使い古されたペン。
 本棚の隙間から覗く壁に掛けられた、小さな額に入った肖像画。

「彼ら……和巳と大和という名前なのですが、ここで預かることは出来ないかと思いまして」

 レリアが本題に入ったのを見て、和巳は部屋を観察するのを止めた。
 室内の内装があまりに教諭の人柄を主張するものだから、落ち着くことが出来た。
 大丈夫。
 口だけ動かして自分に言い聞かせる。

「ここで?」
「ええ。正確に言うとここで勉強させてやりたいのです」

 さすがに教諭も驚いたようだ。柔和な糸目が少し大きく見開かれる。

「ずいぶんと山奥に住んでいたらしく、下界に関してはかなり限られた知識しかないようで」

 微かな憐憫を含めた表情でレリアは視線をよこす。なかなかの演技派だ。
 どうやら和巳たちを『田舎者』と紹介することで、無知をフォローする腹積もりのようだ。すぐにばれそうな上少しばかり屈辱的だが、

「それはまた……」

 とクレイオ教諭はあっさりだまされてしまった。しかし、彼の眉尻が二人をいたわるように下げられたのは救いだった。善人だ。 間違いなく善人だ。どこぞの策士とか紅白もちとは違う。だって彼の瞳は本気だ。
 心の中でガッツポーズ。

「公用語も読み書きは出来ないそうです」
「この国の識字率が高いとはいえ、100%では有り得ませんからね」
「出来れば彼らに社会を見せてあげたいと思いまして」
「なるほど、それはいい考えです」

 教諭、その調子で世の中のどれだけの人に騙されましたか。今目の前に居る人は、私たちは、騙そうとしているんですよ。
 妙な感情が胸を駆け巡る。
 和巳に責任はない。少なくとも、詐欺師にならなければいけない理由は無い。
 悶々と渦巻く、それは罪悪感だ。

「お二人はどんなご関係で?」

 クレイオ教諭は、翠の中にいくばくかの蒼が散らばる、美しく不思議に人を落ち着かせる瞳を細めながら問いかけた。
 とても安心する目だ。すぐに人を信用させる目だ。
 和巳は何もかもをぶちまけたい衝動を抑えて、教諭の首元辺りに視線を定めて答える。真っ直ぐに見つめ返すことが出来なかった。
 どうしてここに来てから和巳が出会う大人の人は、みんな丁寧な言葉遣いなんだろう。

「姉弟、です」
「あなたがお姉さん?」
「はい」

 何処までも優しい声が耳朶をやわらかく包む。姉弟だ、と言う和巳の言葉を彼は全く疑わなかった。
 それどころかレリアと向かい合い、既に話を進めようとしていた。学年が、学費が、試験が、能力値が――。

(ここに居る人って、もしかして本当にみんなお人好し?)

 交わされる会話を右から左に聞き流し、様々なことに拍子抜けして和巳は突っ立っていた。
 和巳と大和は似ていない。姉弟だと言えば、十中八九驚かれ『似てないね』と声をかけられるのが常だ。
 確かに似ていないと思う。
 片や色素の薄い茶髪茶眼、滑舌の良い喋りとせっかちな言動の典型的委員長タイプ。
 片や純日本人的な黒髪黒眼、曖昧な物言いと流されやすそうで目立たない容姿。
 二人ともそれぞれ親に似すぎて、傍から見ると血縁関係は伺えない。それでも真っ向から信じるのか。

「彼女は研究院で預かれればと考えています。しかし彼は……」
「そうですね。学園長に掛け合ってみましょう」

 おいおい、そんなあっさり決まっていいものなのか? 和巳と大和は互いに顔を見合わせた。
 自分で言うのもなんだが、二人は不審人物だ。お人好しなのか、はたまた絶対的な自信があるのか。
 レリアは後者で、教諭は前者だろう。
 ここまで来ても、和巳はまだ信じられない。即決のレリアも、肯定のクレイオ教諭も。

「少しばかり時間をいただけませんか? 当人たちがまだよく理解していないようなので」
「あぁ、そうでしたか。では私は学園長に会いに行きましょう。事前に伝え知っているほうが話が通るでしょうから」
「しかし返事はいつになるかわかりませんし……」

 それはレリアの本音らしかった。和巳たちは嫌でも彼女の決定に左右される立場なので理解できないが、大和をここへ入れるのには まだ時間が必要、なのだろう。
 だが教諭は肯かなかった。逆にニッコリと笑って首を横に振った。

「大丈夫です。学園長は気の短い方ではありませんし、私からもそうお伝えしますから」

 あぁ、やっぱり綺麗な笑みだ。相手を慈しみ、労わり、気遣う笑みだ。後光が差して見える。

「お気遣いありがとうございます、クレイオ教諭」

 胸に手をあて、優美な動作でレリアが謝辞を述べる。どうやら大和の今後は決定らしい――だが。

 何だ、何なんだこのあっさりしすぎた流れは。
 紅白もちに連行されたときとはあまりにも違う、違いすぎるではないか。
 戸惑うのを通り越して最早何の反応も出来ない二人。クレイオ教諭は相変わらず素敵に無敵な笑顔だ。

「貴方たちも大変でしょう。しかしここは、学ぶには良い場所ですよ」

 はぁ、と生返事を返すしかない姉弟に、偉い人はそこらの策士とは違う本物の笑顔で二人を歓迎した。


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お小言
クレイオ教諭は本当の善人です。
当サイトの良心です。
和巳さんは父親似、大和君は母親似。