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 アフタヌーンティーを楽しむ時間というのは、憩いである。
 けれど、憩いは何も紅茶だけじゃない――たとえば、人とか。


title/人生最大の


 人にはお茶という名の休息が必要だ、と言ったのは果たしてどの時代の思想家だったか。
 この国に住まう人間の大半が名前を知らないだろう――かくいうクレイオ自身もおぼろげにしか覚えていない。 どこか異国の響きを持った、女性の名前だったような気がする。そんな程度だ。
 そして、言った当人のことは知らなくてもその言葉は誰でも知っている。そのくらい、古来より大切にされてきたのだ、この時間は。
 だからこそ大切に、笑顔で、ゆったりと――穏やかな気持ちで過ごすべきなのである。

「アダマス殿」

 席に着いて以来押し黙り眉根を寄せては、用意した紅茶にまったく手をつけようとしない対面の男性。

「顔をしかめてばかりでは、せっかくのお茶の味も分からなくなりますよ?」

 腕を組んで眉間にしわを寄せ、お茶の時間を楽しんでいるとは決していえない 目の前の同僚(と呼ぶには立場が違いすぎるけれど)に、やわらかく声をかける。
 言葉の中にどこか諌めるような響きを含みながらも、温和な微笑は絶えない。

「全てが不服、という顔をしてらっしゃいます」
「……そんなことは」

 ない、と言い切れず顔をしかめる素直な彼に、クレイオは良い青年だと心底感心した。自然、ほほが緩む。

 お茶の時間に最も最適とされる午後二時を過ぎた空は、初夏の空気を目いっぱい含んだ風と鮮やかな緑に彩られ美しい。
 茶器には特にこだわらないため安物はあったが、長年使っているために風合いのあるティーカップからは暖かそうな湯気。 それと一緒に鼻をくすぐる香りは心身の疲れを少しずつ取り払ってくれる。
 これから夏に向けて日に日に強くなっていく太陽も、まだ外で茶会を楽しむことを許してくれるほどの明るさだ。
 アフタヌーンティー日和な天候の下、歴史教諭と武術顧問はいつものようにテーブルに着いている。平和な日常だ。
 だが、 彼と自分がこうして午後のひと時を共に過ごしていることに、クレイオは慣れたとはいえやはり奇妙な感覚はぬぐえなかった。



 アダマス・サリエはこの国で最も有名な騎士である。


 彼が国内で最も名誉な職務であるとされる王宮騎士団の副長に年若くして任命された逸話や、 傍系にもかかわらず三公家のひとつサリエを継ぐに至った過程は有名すぎた。
 過去ばかり掘り返して現状には疎いのが短所だと自他共に認めているクレイオでさえ、事の仔細を知っている。

 王家からの寵愛最も強く信頼厚きラトラナジュの智徳――そう呼ばれたサリエの反逆を発端に始まった あの事件から、もう今年で十六年――。

 目の前で不機嫌そうに冷めかけた紅茶を手に取る彼こそ、一連の出来事における当事者であり、そしてそれ以上に功績者でもあるのだ。
 世間では英雄として語られる彼だが、それでもこうやって談笑(とは言いがたいが)していると、一人の青年の素顔が見えてくる。
 それが、クレイオには嬉しい。
 ラトラナジュの歴史に、おそらくは残るであろうアダマス・サリエという人間が、ここに生きているということを感じられるからだ。
 クレイオはそんなアダマスが少しでも気楽でいられれば、と思う。
 話すことで楽になるなら幾らでも聞こう。

「せっかくの週末を台無しにされて不貞腐れているようには見えませんが?」

 手始めに理由を聞いてみる。
 あくまでも穏やかに、柔らかく、談笑の域を出ないよう、言いたくなければ口下手な彼でも話をそらせるだろう程度の遠まわし加減で。
 そのあたりの采配は年の功というやつだ。

「……私はそんな子供ではありません」

 答えた声や表情から不貞腐れているのに間違いはないが、話すつもりはあるようだ。
 ただいつものことなのでどこから話せばよいのか分からないのだろう。

「そうですね」

 笑みを深くしたクレイオに少し気が抜けたようで、眉間のしわが若干緩くなる。
 アダマス・サリエはあまりに素直で実直で、人の好い青年だ。
 そのあたりを現陛下に気に入られたのだろうが、彼の性格は悪く言えば危なっかしい。
 当人もそれを自覚しているためか、ことさら己を律する傾向にある。
 すぐ顔に出る感情、思わず口走る言葉、無意識に差し伸べそうになる手――それらを、出来るだけ人前で出さないようにと気を張っているのだ。
 けれどにじみ出る気質は隠せない。素直で実直で、けれど全てのものに公正であろうとするその背反が、見る者を魅了する。
 そしてそんな彼を悩ませる原因というのは決まって一人の女性で、今回もそれで間違いないらしい。

「また、レリア女史が無茶をした、と思っていらっしゃるのでしょう?」
「それは、」

 濁しながらも分かりやすい、即答に近い返事に苦笑を禁じえない。
 こんな会話はいつ振りだろう――レリアが何か起こすたびに彼はやってくるのだから、まぁ一ヶ月ぶりくらいか。

(前回は、研究院をしばらく助手に任せて旅に出たい、という申し出でしたか)

 探究心が尽きないのは学者として、研究者として素晴らしいことだ。ましてや ここ十年ほどで盛んになってきた学問にして第三の力、魔導の研究はまだ突き詰めれば突き詰めるほど新しい発見がある段階。
 レリアほどの人間であれば、先駆者として後世に名を残すことも出来るだろう。
 のほほんとあのときの会話に思いを馳せながら、紅茶を口に運ぶ。

「レリア女史が連れてきたということは、かなり見込みがあるということですよ」

 さらりと本音を言ってみる。レリア・アルテミス女史というのは一筋縄ではいかない人物だ。
 彼女は少なくとも善意で動く人間ではない。だが、彼女の行動理由はこの学園や国の害には決してならなし、彼女自身 悪い人間ではない。
 単に異邦人の少年への慈善事業をやるのではないだろう。けれど、彼らにこの国を知ってもらうのはいいことに思えた。
 アダマスがこんなにも彼女の行動を気にかけ頭を悩ますのは、ひとえに遠縁という間柄だからだろう。

「レリア女史とは縁戚関係にある、とは聞いていますが……」
「昔から知っています。当然、向こうのほうが知っているでしょうが」

 なにせ五つも年齢に差があるのだ。年を食ってから知り合ったなら別かもしれないが、幼い頃からとなるとその開きは存外大きい。
 アダマスと親戚ということは彼女もサリエに連なる人間なのかもしれないが、そうでなくとも特に気にならなかった。 ただ、彼女がいわゆるいいとこのお嬢さんであることは確かだ。物腰、しゃべり方、全てが彼女の生まれを物語る。
 幼い頃から交流があっても不自然ではない。
 この国で、貴族というのはそこまで高い地位ではないのだ。血のつながりはなくとも実力がある、というそれだけの理由で 家業を継がせる国である。
 もともとこの国の生まれではないクレイオにしてみれば驚きだが、歴史を紐解けばなるほど確かに血縁の指す意味は薄い。
 ラトラナジュは、定住地を持たない国のあぶれ者や遊牧民が集まって出来た国なのだ。来るものは拒まず去るものは追わず、 自由を愛する快活な気風もそれゆえだろう。
 さすがに王族はその風習から外れているが、それでも外部から血を入れることに対しての抵抗は他の国に比べ低い。

 クレイオ自身は貴族の生まれでもなんでもない。先ほど言ったようにこの国の生まれでもない。
 歴史学者だった母と教師だった父の間に生まれ、昔から書籍や図式など知識の詰まったモノにばかり触れて育った子供だ。
 自分がこの道を選ぶのは当然のように思えたし、後悔もしていない。
 母のように各地を転々と回ることに憧れていた時分はひとつ所にとどまることが必要とされるこの職は息苦しくもあったが、 家庭を持ってからはそうもいかなくなった。
 今では、歴史教諭は天職だと思っている。

(しかし、今度長期休暇がもらえた暁にはちょっとした遺跡めぐりでもしましょうか)

 そんなささやかな幸せを願うしがない歴史教諭である自分と高潔の騎士との関わりといえば、彼の副業と自分の本業が同じ職場であったというその一点に尽きる。
 クレイオは歴史を教える立場であり、それが本職だ。彼のように王宮騎士と教師の二束のわらじでもなければ、 歴史を専門とした学者でもない。
 個人的な興味を最も引くというなら、歴史よりも『古典文学』と呼ばれるジャンルのほうが強いだろう。

 古典文学とはその名の通り昔の書物に関連する知識などだが、狭義においては特に謎の多い『一部の書物』 に関する知識や研究を指す。
 発達した倫理観、まったく違う世界を描いたファンタジー小説でありながらリアリティに富む物語、 全て同じ人間が書いたとするにはあまりにも内容が豊富で多岐にわたる…… 一番分かりやすい共通点は「同じ言語で書かれている」という点。 生きる上で何か役立つというわけではない。だがしかし先達から得るものは多い。 そしてなにより、そこに隠された謎が――

「クレイオ教諭?」

 怪訝そうな呼びかけでわれに返る。
 危ない危ない。自分の思考にどっぷりとはまってしまっていた。古典文学について考え始めると抑えが利かなくなるのは 自分の最も直すべき性癖である。
 だが、今しがたのやり取りでふと手元においてある本を思い出した。最近手に入れた有名訳者の本だ。
 すす、と差し出してみる。
 なんだかんだ言いながら薦めるあたり、やはり色々懲りていないらしい。

「一冊、どうです?」

 ピシ、と硬直したのは一瞬だが、動き出しても目は泳ぎ、唇も開いたり閉じたりするばかりで一向に言葉を紡がない。
 アダマスの反応から弾き出される答えは、つまり拒否。

「そうですか……」

 この本なら気を引けそうだと思ったのに、ちょっと残念である。 この、主人公の宣言にも似た題名がとてもユニークで気に入っているのだ。
 仕方なく、お気に入りの本を机に置く。表紙には、公用語で訳された題名が飾り気のない書体で印字されていた。
 主人公の自己紹介――『我輩は猫である』と。

「……私には古典文学のよさが分かりませんから」
「それは残念」

 既に分かっていたことだが、ようやく返ってきた答えは古典文学を苦手とする人間がよく使う逃げ技だった。
 これは本当に面白い話なのに。題名も何よりだが、この出だしがなんとも――。
 心の底から残念だ、という気持ちを隠そうともせず肩を落としたクレイオに、アダマスは慌てる。

「ですが、教諭の授業は生徒たちに大変人気で……なんでも、選択授業は抽選があるとか」

 あわてて彼が告げた言葉には、必死にフォローしようとしてくれている優しさが伺えるが、その人柄を思えばとてもありがたかった。
 再び笑顔を取り戻し会話を続ける。

「そうなんです。皆さんが特に古典文学に興味があるわけではないのでしょうが」

 歴史の授業を経験している生徒からしてみれば、他教科に比べ課題の提出も授業内容も楽と思われるのだろう。古典の授業は人気が高い。
 動機はどうあれ触れるきっかけになれるなら、と嬉しく思う。
 それにしても、生徒たちが「今年こそ先生の授業、受けたいです!」と意気込む姿は謎である。

「そんなに、私の授業は楽でしょうか」
「いや、そういう訳では……」

 曖昧に濁されると気になるのだが、無理に口を割らせるのも悪いだろう。それに、これは自身で解かねばならない謎なのだ、きっと。
 一度、レリアにお茶の席でその話をしたこともあるのだが、彼女は「無自覚も罪ですね」と意味深な台詞を微笑み呟いたあと、さらに笑みを深くして続けた。

 ――それはクレイオ教諭だからですよ。

 はてさて、意味がさっぱり分からない。

 ――皆さん、クレイオ教諭のことを敬愛しているんですよ。

 それはいわゆるお世辞で、社交辞令だろうと思う。
 自分の一体どこに、他人から好かれる部分があるのか。
 そりゃ、もちろん結婚もしているのだし妻子のことは愛しているし愛されているとも自覚している。
 生徒たちのことも、当然見守るような温かい愛を注いでいるつもりだ。けれどこの世の中に万人から愛される人間などいるはずはない。
 なにより自分は、なにもしていない。

 ――アダマス教官も、クレイオ教諭の人柄に惹かれたのでしょう。

 鮮やかに微笑を返すレリアの言葉にいまいち納得はいかなかったものの、アダマスが自分を慕ってくれている事実に変わりはないのだから 理由なんて、まぁ、どうでもいいか。
 そうやって自分に決着をつけたクレイオを「らしいですねぇ」なんて言いながら微笑んでいたレリアだって、ほかの教師陣に比べて頻繁に自分の元を訪れているとは 考えもしないヴェルデライト・E・クレイオ四十六歳。いろんな意味で人生最大のモテ期ではないのか。

「アダマス殿」
「はい」
「紅茶のおかわり、いかがです?」

 誰に対しても、何を話した後でも、まったく変わらない笑顔で教諭は問うた。
 しばらく悩むような間のあと、お願いします、と空のカップが彼の前に差し出される。
 慣れた手つきで、しかし急ぐことなくゆったりとした仕草で紅茶を注ぐクレイオ。
 歴史以外のことに関してはことさら深く突き詰めない(歴史に関しても結構ざっくばらんなのだが)大雑把なその性格が、 この学校の癒しといわれるまで愛されていることを、彼自身は知らない。



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お小言
 なんていうか、もう、クレイオ教諭は仏様で
 アダマス教官すっかりヘタレですね!
 ヘタレ大好き! おお振りの水谷も大好き!(聞いてねぇ)