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 姉の隣にあてがわれた部屋の窓から、ネオンに邪魔されない星の光と半分だけの月光が差し込む。 自分の常識が通じない世界でも、月は変わらず綺麗だ。
 室内の明かりはつけていないため、それらはより一層強く感じられた。
 寝台の上で身体を丸めて、光の届かないただ一点を見つめる。

「――なぁ」

 自分が思うよりもずっと静かな声音で、そこに居るはずの存在へと呼びかけた。


title/案内のち拒絶のち、落とし穴。


 元の世界ならばゴールデンタイムを少し過ぎたあたり、日も沈みだいぶたった頃。
 和巳が居候させてもらっている家のリビングの人口密度は和巳とクロムの二人だった。

(……レリアさんの親切は、ありがたいんだけど)

 彼女の場合は面白がっている節もあるので素直に感謝しにくいのだ。

 火を起こすこともままならない二人のためにだろう、紅白もちことクロム・ディアーズロックが高柳姉弟の夕食を用意してくれたのだ。レリアに言われて渋々承諾 したのだということは想像に難くない。
 既に用意してあった夕食を暖めるときの無表情を、和巳はきっと一生忘れられないだろう。
 家の主はまだ仕事から帰ってきておらず、大和も学校見学で「疲れた」と言ってすぐに部屋へ引っ込んでしまった。
 よって、今の状況は。
 なすがまま、リビングで紅白もちと二人っきりである。
 コーヒーと思しき黒い液体が入ったマグカップを口に運ぶ。

(苦い)

 液体だけでなく、今のこの状況が。
 食事のときと同じテーブルに着いている和巳と違い、紅白もちは わざわざ入り口の付近まで椅子を引っ張ってそこに座っていた。なんだ、私の近くは嫌なのか!(そりゃ嫌だろうけど)
 心の中で一人ノリツッコミをしていると意外にダメージを食らってしまい、そのままテーブルに突っ伏しそうになった。
 いやいや、そんな心持では駄目だ。今日は今日で色々あったが、収穫の方が多かったのでよしとしようじゃないか。

(当初の目的は果たしたわけだし、一歩前進。前向きに考えないと)

 クレイオ教諭の変貌っぷりには驚いたが、文字を教えてくれるのならばその程度のこと目を瞑れる。
 知識を得るには本だ、と思い当たったはいいものの文字が読めなくてはどうにもならない。近いうちにレリアの仕事を手伝うことを考慮しても、 やはり文字を理解する事は重要だ。
 言葉が通じるのに読解できないのは不思議だが、そのあたりはファンタジーの一言で片付けて隅に追いやる。
 そんなことを考えたところで無駄なのだ。和巳が今一番必要としているのは元の世界に帰る方法であり、世界の真理を追究する暇などない。 随分とロマンに欠けた考えだと自覚はあるものの、そもそもロマンを求めること自体が誤りだとも思う。

(私たちがいるべき場所はここじゃない)

 確かに自分たちの読める日本語だったこと、有名な著作ばかり並んでいたこと、そしてそれらの全てが「古典文学」という名のジャンルで この世界に浸透していること。
 不審な点は多々あるが、この符合は手がかりになるかもしれない。
 字を学ぶための準備は整ったし、その上「古典文学」という手がかりを得られる可能性が増えた事は喜ぶべきだ。
 とはいえ、クロムの前でそれを晒してしまったのは迂闊だった。
 ただでさえ不審人物として認識されているというのに、長きに渡り「解読不能」「永遠の謎」などと呼ばれていたらしい文字をすらすらと 苦もなく読み上げてしまったのだ。胡散臭さは倍増だ。

(それにしても)

 マグカップを持つ手で顔の下半分を隠しながら、不機嫌そうなクロムの横顔をのぞき見る。

(気まずいわ)

 この空気に耐えかねたのなら自分の部屋に戻ればいいだけなのだが、それはそれで次に会ったとき気まずい。
 極端な敵意というのは居心地悪いが、彼は彼で和巳たちに思うところあるのだろう。自分たちが異分子であり至極怪しい存在として認識されているのは 今までの反応で十分承知しているつもりだ。
 レリアとクロムの間には、主従関係のようなものがある。
 大和が通うことになる学校は騎士を育てる所だと聞いているから、もしかして彼はレリアの騎士なのかもしれない。 この世界の恐ろしさは身をもって知ったばかりだ。
 だからこそレリアを守ることに執着している、と考えれば紅白もちの警戒にも納得できる。
 ……随分と身長差のある姫と騎士だが。

 じぃーっと見つめていると睨み返された。
 失礼なことを考えていただけに視線が痛く、慌てて目を逸らす。ここまでビクつくなんて癪だが、先日の一件では迷惑をかけたという 自覚があるだけになんとも言えない。

(やっぱり、お礼を言うべきよね)

 どれだけ相手が失礼で嫌味で腹の立つ相手でも、助けてもらったのは事実だ。ここで感謝しなければ礼儀正しい日本人としての名が廃る!  妙な意気込みで決意すると、早速声をかける。

「あの、クロムさん?」
「……」

 下出に出るのは和巳に敵意がないことを示すためだが、クロムは少し肩を揺らしただけで他には反応しなかった。
 口の端が引きつったが気にしない気にしない……お礼は、言うべきだ。たとえどんなに嫌なやつでもっ。

「先日はどうもありがとうございま」
「別にお前を助けたわけじゃない。レリア様が困るから助けただけだ」
「……それでも、助けてもらったのは事実なのでお礼は言います。ありがとうございました」

 耐えろ、耐えろと言い聞かせ、なんとか最後までは言い切る。だが、次に口を開けばどんな罵倒が飛び出るか自分でも分からなかった。
 和巳が理性と葛藤していると、クロムが小馬鹿にするように鼻を鳴らした。

「勘違いするな、お前の言うことを信頼したわけじゃない」

 初対面のときと何一つ変わらない態度が、怒りの琴線に触れる。
 私はただ、「ありがとう」と伝えようとしただけなのに!

「っ、私にあんたみたいな人をどうこう出来る力があると思うわけ!?」

 カッとなって口をついて出た言葉は自分でもみっともないものだったが、事実なのだから仕方ない。
 剣を手に他人を傷つけることの出来る、その覚悟のあるクロムと、まさか自分がそんな目に合うとは露ほども考えなかった和巳とでは比べるまでもない 大きな差がある。
 ある意味自虐にも等しい和巳の言葉を、しかしクロムは切り捨てた。

「力がないことと脅威にならないことは、イコールじゃない」

 遠まわしに、お前は無力だと言われた気がした。自分がいかに無力なのかを突きつけられたばかりなのに、その傷をさらに抉られる感覚に胸を押さえる。
 泣きそうな顔を見られたくなくて、咄嗟に顔を伏せた。
 弱っている和巳にひた、と視線が据えられているのが顔を合わさなくても分かった。ゆっくりと近づいてくる足音を耳にして、 獲物を狩る動物のように逸らされない赤が近づいてくる光景が脳裏に浮かぶ。

「……レリア様だけでなく、クレイオ教諭にも何かあったら」

 のろのろと視線を上げれば、色と相反して冷ややかに凍った瞳とぶつかった。

「無事で済むと思うな」

 クロムの目は本気だ。「外敵」を排除することに躊躇いのない彼の目の中で、固い意志という名の炎がうねっている。
 その色に何かを思う前に、感情の火は和巳に飛び火した――無事で済むと思うな、だと? 和巳だけに飛来する 火の粉は、火傷を負わせるどころか和巳の何かに火をつけ恐怖という黒い塊を焼いた。

(――冗談じゃねぇ!)

 好きでここにいるわけではない、望んでレリアの手をとったのではない。どうして私たちが排除されなければならない!?
 裏路地での光景がフラッシュバックする。
 容赦なく振り下ろされた剣、風を切る音――あのとき眼前を掠めた血の色よりもクロムの瞳で踊る炎は数段キレイだったが、和巳には とてつもなく理不尽に映った。

「ふざけるなよ」
「なに――」

 のどが痛くなるほどに、和巳は自分が出せる限り低い声を絞り出した。
 突然の反撃に虚を突かれ力の弱まった腕を押し返し、先日は恐怖で動かなかった身体がまるで嘘のような速さでクロムの 白い短衣を――胸倉を掴んだ。

「ふざけんじゃねぇよこのガキが!」

 たいして身長差のない相手を力任せに引き寄せると、思っていた以上の近さに顔が迫った。
 今向けられる敵意の全てを、ありったけの肝と虚勢で塗り固めて瞳にこめる。
 互いに吐息がかかろうかというほどの距離であるが、恥じらいも甘さもそこにはない。ただ、ひどくピリピリとした、 触れれば火傷しそうな視線が交わされるのみだ。

「テメェに譲れないものがあるのと同じで、俺だって守らなきゃなんねーもんがあるんだよ」
「……放せ」

 お互いの敵意――殺気と呼べるかもしれない――が薄れていくのを感じて、和巳は言われるがまま和巳は胸倉を手放した。
 こういうことは引き際が肝心なのだ。
 それでも抑えきれない感情は自然と唇を動かし、言葉となって相手にぶつかっていく。

「はんっ、二度と面見せんじゃ……違う違う、見せないで」

 駄目だ、さっきのノリでつい口汚くなってしまう。
 紅白もちは突然変化した口調に驚きもせず(むしろこれが本性だと思われてそうで怖い)、嫌味や皮肉を口にするとき特有の笑いを浮かべた。

「なにを言ったところでもう遅い。嫌でも毎日顔をあわせることになるさ」

 心底嫌そうに言われるが、向こうは学生でこちらは研究員になる予定だ。校内で会う機会など高が知れていると思うのだが。
 怪訝な表情に目を留めて、クロムの方も眉を寄せた。

「聞いてないのか?」

 そんな風に聞かれても、思い当たることなど何一つとしてない。素直に知らないと答える。

「なにを」
「……」
「……」

 しばらくの間、いやな沈黙が廊下を支配した。



※※※



 沈む、という表現がまさに当てはまるほどぐったりと、大和は寝台に横たわっていた。
 倦怠感とでもいうのだろうか。体中にまとわりついて離れない疲労は部活でへとへとになったときと似ていた。 動かすのが億劫に感じられるほど、自分の体が重い。

(でもまぁ、こんなもんか)

 今はもう消えてしまった存在に思いを馳せる。この世界に来た当初からなんとなく感じていた気配を、強く意識したのは先日の強盗騒ぎでだった。
 姉はまったく気付いていないが、クロムは既に見抜いているだろう。それでも彼が危険視しているのが大和でなく姉の方なのは、ひとえに こちらでは魔導と呼ばれる、科学の知識を持ってレリアの傍にいるからだ。
 あの二人に仲良くしてほしい、とまでは思わないがせめて険悪な関係だけは改善してほしい。
 そんなことを考えていると、なにやらものすごい音――人の叫び声が部屋を震わせた。

「―――――――――――!」

 キィン、と響いて頭が痛み、咄嗟に頭を抱え込んだ。二日酔いってこんな感じかな、と知りたくもないことを知ってしまう。
 どうにもならない痛みが落ち着いたところで、のそりと身体を起こした。

「……な、んだろ……」

 この、人と思えぬような絶叫は姉のものに違いない。
 いやに身体が重いが、この騒ぎで姿を見せなければいらぬ心配をかける。大和の変化に姉が気付けるはずないのでそちらの心配はいらないが。
 明かりをともしていない部屋を身体を引きずって歩き、扉を開ける。廊下に姿が見えないので、居間の方へ足を向けた。

「なんかあったの、姉ちゃん」

 入り口をくぐりながら生あくびをかみ殺し、今まで眠っていたような振りをする。動きが鈍いのを誤魔化すためだ。
 寝起きのようなだるさは真実なので上手くいくだろうと頭の片隅で考えていたが、どうやら和巳はそれどころではなかったようだ。 大和の呼びかけにも反応せず、クロムに詰め寄っている。面倒臭そうにあしらわれてはいたが。

「なんで、なんで……!?」
「説明する義理はない」
「信じらんないっ、あんた寮じゃなかったの!?」

 中途半端に開かれた手が今にも相手の胸倉を掴みそうだったが、クロムは気配を察してかそれなりの距離をとっている。
 今近づいても話は聞けそうになかったので、リビングの入り口で大人しく待つ。第三者として見ていると姉の行動は面白い。

「あら」

 ここ数日で聞きなれた声が聞こえ、後ろに誰か人の立つ気配。
 背後に首をめぐらせると、案の定とても愉快そうなレリアが立っていた。ついさっき仕事から帰ってきたようだ。
 お帰りなさい、というのは気恥ずかしかったので軽く頭を下げる。レリアは目を合わせて笑ったあと、家主の帰りに気付かない姉へ楽しそうに声をかけた。

「元気ですね、和巳さん」

 姉は突如現れたレリアに一瞬驚いたような表情を見せるものの、よほど頭に血が上っているのか彼女にまで食って掛かる。
 そこまで動揺することがあったのだろうか。

「レリアさん! どういうことですか紅白もちと一緒って!」
「も……?」
「何でもありませんレリア様」

 クロムは不自然なくらい早口で遮る(このあだ名は姉の中で定着したらしい)と、あとは黙りこくった。説明する気はないらしい。
 仕方なく、大和はレリアの隣へ並んだ。

「あの、クロムが一緒ってどういうことですか?」

 自分だけ事情を知らないというのは気持ちのいいものではないので、確実に答えを返してくれるレリアに訊ねる。
 良くぞ聞いてくれました! と言わんばかりの笑みで、レリアは姉が混乱するに至った事実を口にした。

「クロム君もこれからこの家に住んでもらうことになったんです」

 ちょっと驚かせたかっただけなの、とでも言いそうな少女めいた笑顔は悪意が窺えないだけに性質が悪い。
 寝耳に水の大和は口をあけてレリアを見つめるだけだ。

「今後の生活において、私一人ではカバーできないことがありますからね。特に大和君とは同級生になるんですから、ちょうどいいかと思いまして」

 そうしてレリアはなんの悪気もなさそうな――胡散臭くて怪しくて、輝かしい笑顔でのたまった。

「これから仲良く、ね?」

 あまりの急展開についていけないが、大和以上のショックを受けた和巳の様子はさらに酷い。
 顔を俯かせ、目に見えるほど肩を震わせ拳を握りこんでいる。怒りで耳まで真っ赤になっているのが後ろからよく見えた。

「や……」

 あぁ、爆発するな。悟った刹那、大和は自分の両耳を塞いだ。

「やってられっか――――――――!」

 近所迷惑もなんのその、どこにぶつければいいのか分からない鬱憤をはらすかのように、姉は吼えた。



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お小言
どうしても我慢できず出してしまった大和。
最初は学生寮で大和とクロム二人部屋の予定でしたが、主人公の出番が少なくなるので
一緒に暮らしてもらうことになりました。