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 国語、数学、理科、社会。
 国が違えば言語が違う、歴史が違う。だからすべてが違ってくる。
 コペルニクスもガリレオもいない世界じゃ、進化論だって存在しないんだから。


title/ノート


 カツ、カツと黒板を叩く音が刻みよく響き、流暢に紡がれる教師の声と相まって教室には緊張と好奇心、さらには少しばかりの退屈で色づけされた空気が満ちていた。
 正午間近の授業風景は、髪の毛の色と制服のなんともいえないファンタジー感、内装の違いにさえ目を瞑れば、中学となんら変わりない。
 しかし、当然のことながら授業内容があまりにも違いすぎる。

(……さっぱりだ)

 空腹が最も強い四限目の授業は数学で、大和くらいの年頃ならば授業など上の空で昼食へ思いをはせるのが健全な過ごし方だと常々思っている。だが目の前に突き出された現実はそれを許してくれそうになく、空腹を訴えるはずの胃はキリキリと嫌な感じに痛い。

(訳が分からなさ過ぎていっそ面白いレベルを通り越した……!)

 所詮地方の公立校レベルとはいえ、いくら理数が苦手だったとはいえ、それでもまったく理解ができないほどではなかったはずだ。

(いやまぁ本来ひとつ上の学年なんだし当然といえば当然なのかもしれないけどどうしてそんなに複雑な計算をスラスラとよくわからない理論と公式で解いてさらにはそれをいったいどう活用しろというんだろうかっていうかものすごく論理的っぽい説明をしてくれているのに何一つ理解できないなんて――)

 背後で落石か雷鳴か、そんな幻聴が聞こえてカタカタと小さく身を震わせる。

(まさに異界語……!)

 大和のノートは、今日も白紙のままである。

※※※

 帰省ラッシュの高速道路のような密度で、食堂は生徒で溢れかえっていた。
 一学年あたり百から百五十人、かけることの六学年分の生徒が皆、同じタイムスケジュールで動いているのだから当然だ。
 壁沿いに並ぶ生徒の群れ、その最後尾についたのもつかの間、次から次に後ろへ人が続いていく。長蛇の、と表現しても差し支えないような行列はゆるやかな速度で進んでいた。
 席は既に半分ほどが埋まっており、会話を楽しみながら食事を進める者、一人黙々と食べ続ける者、とにかく昼休みのこの時間を食べることに費やしていた。
 壁がカウンターに変わって少し進んだところで前を歩くポニーテールが止まる。カウンターの向こう側にいるのは、食堂のおばちゃんならぬ食堂のおじちゃんだ。

「三番一つ」
「えっと、一番お願いします」

 食堂のおじちゃんはクマのような巨体を揺らし、「あいよ!」と威勢のいい掛け声と共に器を差し出す。クロムは優雅に、大和は慌ててそれを受け取ると抱えていた盆の上に乗せた。
 そのあとは行列の流れに逆らうことなく進み、盆の上を料理で満たしていく。
 このヘルギウスでの昼食は、給食のように全員同じではない。かといって種類が豊富なわけでもない。主食(パンのようなものの時もあれば、麺のときもある)は共通で、メインのおかずを一日三種類程度のメニューの中から好きなものを選ぶ形だ。

「クロム、それなに?」
「赤味魚のホワイトソース煮。ちなみにお前のは茄子とひき肉の甘辛炒めだ」

 それはどちらも美味しそうだな、と大和は自分の盆を彩る料理を幸せな気持ちで見下ろした。
 最初の二、三日は何がなんだか分からなかったのでクロムと同じものを選んでいたが、そうするとこの気難しいクラスメイトは嫌そうにしてみせるので今は自分で適当に選んでいる。
 主食のパスタを受け取ったところで行列は終わり、ミッションは昼食ゲットから席確保へと移行する。
 年の割りに小柄なクロムはスイスイと人の間を縫って、まだ人の少ない快適なポジションへ進む。まるで猫のようなしなやかさだ。

「クロム、ちょっと待ってよ」

 人ごみが苦手な大和は、このときいつも遅れがちになってしまい慌てる。それでも、大和とクロムが別々に食事をしたことはなかった。
 分かりやすい白髪と同色の短衣は人ごみにまぎれても見失うことがない。クロムのように制服の上からマント状のものを羽織っている生徒はごくまれで大変目立つので、必ず追いつくことが出来るのだ。
 それでもこの呼びかけは癖のようなもので、応えてくれたことが一度もないのに繰り返してしまう。

「ねぇ、あの生徒――」
「編入してきた――」

 耳に届く面白がるような声以外にもときおり視線を感じるが、それは自分が編入生という異分子に対してだけではなく、隣に座るこの白色の少年へも向けられていた。
 編入初日から薄っすら抱いていた疑問が首をもたげてくる。

(クロムの一体何が特別なんだろう?)

 具体的に誰かから何かを聞いたわけではない。それでも、その身にまとう短衣が人を寄せ付けない理由で特別の証なのだろうといくら鈍い大和でも察しはついた。
 余計に注目を浴びることになるが、見世物パンダも一人じゃなければ辛くない。大和としてはそれ以上に、知らない人に囲まれるよりは知っている人間の隣の方が落ち着く、など理由もあるのだが。

(気にしない、気にしない)

 既に席についているクロムに習って無関心を装い、隣に座る。

「いただきます」

 最初のうちは妙な顔をされた挨拶も、クロムは見慣れてしまったのか反応を示さず食べ始めてしまう。他にも不思議そうに大和を見つめる生徒がちらほら見受けられたが、むしろ「いただきます」がないことに違和感を感じるのでこれは貫いている。
 パスタをフォークにまきつけ、口に運ぶ。

(今日は当たり、だな)

 初めて案内された日、「食べてみれば分かる」と素っ気無く返された食堂の味は、慣れ親しんだそれとは違っていたものの素直に美味しいといえる代物だった。
 ただ、メニューが何かをよく分かっていない状態で適当に選んでいるため、一度だけとんでもないものに当たってしまったことがあるのだ。好き嫌いはないのでその辺は平気なのだが。

(でもあれは駄目だ。殺人兵器並みの辛さだった……)

 つい先日の恐怖を思い出しそうになってとどまる。今日のランチは美味しいんだから、それでいいじゃないか。黒歴史はさっさと追い出して、目の前のご飯に意識を集中する。
 食べ盛りにとっては質より量である。しかしそこは学校食堂、量も申し分ないのでご安心ください。
 食事中に話すのは行儀が悪いと言われ育てられたのと、一緒にいる人間がさして喋らないこともあって、食べている間は結構静かだ。
 その沈黙を破ったのは珍しいことにクロムの方で、ふと思い出したように話を振ってきた。

「……そういえば、教官たちには会ったことがないんだったな」

 思いも寄らぬ唐突な質問に少しだけ固まる。「うん、まぁ」と濁すような返事をしたあと、自分が『教官』に会ったことのない理由を思い出す。

「午後の授業は、全部クレイオ教諭に見てもらってるし」

 午後の授業というのはつまるところ実技だ。
 四年生、つまり大和やクロムが在籍する学年以降は魔術と武術の二つに分けられ、より個人の才能を伸ばす方向で育成するのだという。三年になるまではどちらの授業も平等に受け、それまでにどちらがより適正が高いかを見定めるのだそうだ。
 高校で文系・理系とクラス分けをするようなものだろう。
 実技の教師は教官、座学の教師は教諭、と呼称まで異なっているので、いまだ教師陣の名前を把握していない大和でも間違えることなく覚えることが出来た。

(会いたくないなぁ……)

 これは切実な願いだ。
 クロムが武術を専攻していることは腰に剣をぶら下げていることから明らかであり、つまりは彼のように剣を扱うのだろう。部活で竹刀を扱ったことがあるとはいえ、部活は部活で竹刀は竹刀だ。実戦へ向けて学ぶのとは違うし、真剣だなんて手にしたくもない。
 けれど魔術もお断りだ。元の世界では「非現実」「ファンタジー」に分類される力を学ぶ気にはなれない。

(興味はあるけどさ)

 大和だってゲームやアニメは好きなのだ。興味がないといえば嘘になる。
 もし、この世界に来たのが大和ひとりであったなら。あるいは、自分の中にある力を磨く気になったのかもしれない。

(いや、だめだ)

 好奇心に、誘惑に負けてはいけない。

(地獄の食べ物を食べたらもう二度と地上へは戻れない)

 くるくるとフォークを回してパスタに具を絡ませながら自分自身に言い聞かせる。
 ここが地獄だなんていうつもりもないし食べ物なら現在進行形で味わっている。
 こちらとむこうと、二つの世界の間に横たわる明確な差異に手を染めてしまったら、自分はいずれ還る元の世界から弾かれるのではないかという不安があった。
 姉が魔術に興味を持つことはあっても扱うことはないだろうと信じているので、余計に怖くなる。
 一人だけ取り残されたら。一人だけ置いていかれたら。そんな状況で、果たして自分は耐えられるのか――。

「授業がそんなに難しいか」
「へ?」

 クロムの声で我に返る。どうやら、一人でぐるぐるしているのを落ち込んでいるように取られたらしかった。
 全く違うことを考えていたのだが、話題転換はとてもありがたかったので、すぐさま飛びつく。

「そりゃあ難しいよ」

 クロムには理解できないだろう辛さでね、という一言は胸に秘めておいた。僻んだところでなにが変わるわけでもないし、大和が感じている難解さは世間一般が「勉強って難しい」と感じるものとは根底が違う。

「だってさぁー」

 自分が悩んでいるあれやこれやを悟られたくなくて、わざと赫供っぽく愚痴る。
 まず、黒板に書かれた文字を判読するのに時間がかかる。さらに、出来たと思った次の瞬間には、黒板消しという飼悲の欠片もない物体がその文字を消してゆく。板書が追いつかないなんて、まかで気分は進○ゼミのダイレクトメールに必ず付いてくる漫画の主人公だ。
 チョークで書かれたこちらの世界の言語をそのまま写したところで結果はあまり変わらない。書き写すのに時間がかかる上、あとから見直しても判読できないのだ。

「結局、文字を理解しなきゃ始まらないんだよね」

 それどころか、全てについていけない事実を毎日突きつけられているせいで落ち込むばかりだ。

(悪循環、っていうんだろうな……)

 これはこれで重要な問題なので気が重い。胸のうちに溜まったものを吐き出すように、乾いた笑いを小さく漏らす。
 クロムは何かを考え込むように少しだけ黙って、顔を上げた。

「字は書けるんだな?」

 クロムの問いかけに馬鹿にした様子はなく、ただ確認のために聞いてきたようだった。

「そりゃ、日本語なら」

 幼稚園の頃からのお付き合いですからね、そりゃ理解してますとも。先程までの子供っぽさを無意識のうちにまだ引きずっていて、つい拗ねたような口調で答えてしまう。

「書けるんだな?」

 大和の曖昧な態度にイラついたらしく、語気を強めて口にされた問いには有無を言わさぬものがあった。

「書けます」

 つい背筋を伸ばして即答してしまう。どうしよう、姉とは違う怖さがある。
 怯えつつもしっかりと聞く体勢に入った大和にひとつうなずいて、クロムはなんでもないことのように提案した。

「僕がノートに書かれていることを読み上げるから、お前はそれを自分に理解できるよう書き写せ」

 一瞬、言われた内容が理解できなかった。
 読み上げて、書き写す? 誰が読んで、誰が書く?

「もちろん、僕の宿題が終わってからだ」

 驚きが先行して何も言えず、金魚のように口を開閉させる。それを数回繰り返してようやくクロムの提案が意味することを飲み込んだ。そしてのた驚く。

「えっと、でも。いいの?」

 躊躇いがちに、それでも確認せずにはいられない。
 クロムの気まぐれなのかもしれないが、他人の勉強に付き合うだなんて、たとえどれだけ時間を暇を持て余していたとしても大和ならゴメンだ。

「別にお前のためじゃない」

 不機嫌さを滲ませたそれは、いわゆるテンプレ台詞というやつで。大和は思わず動きを止める。
 面倒見がいいのも気遣いが出来る人間であるのもなんとなく気付いていたが、これはいわゆる「あいつ、根はいい奴だから……」的な展開で、もしやクロムは昨今流行のツンデレ属性なるものを備えているのかと大和が一人で衝撃を受けていると、

「成績不良で落第なんて、許されるはずないからな」

 腕を組み、若干の嘲笑を混じえた態度で口にされる。大和のばかげた考えを真っ向から否定するに足るものだった。ただ単に自分の利益に対しては合理的な考えをしているだけなのだ、と。どこをどう巡ればクロムの利益になるのかは分からないが、大和の成績が悪くて落第するのは不利益であるらしい。
 なんだか混乱していた自分がバカらしくなって(実際馬鹿馬鹿しい話だ)一気に気が抜けてしまう。

「そーですねー……」

 平日正午から始まる番組で見る、ノリの良いお客さんとは程遠いテンションで応える。
 元の世界に還ったら絶対に授業で寝てやる、と明らかにずれた野望を心に誓い、大和はフォークを握りなおした。

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お小言
クロム君はノットアルビノ、ノットツンデレ。
大和君はそろそろお箸が恋しくなる時期だと思います。
なんかもう月一更新すら危ういNE!