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 だから大和は気付かない。
 走り去る後姿をどこかさびしげに付いてゆく彼女にも、
 左手の指輪が教えてくれていた大きな魔力の気配に微笑む白衣にも、
 物音に振り返った一瞬、角に消える黒髪を目にした黒尽くめにも。


title/隠し事


 話は少し、前に戻る。
 大和が中庭の茂みにしゃがみこむ前、慌てて教室を飛び出すよりあとに。

 片側には壁でなく緑が広がっているせいか、床を蹴る音は廊下にこもらず外へ逃げる。
 そのかわり、昼休みが残り五分であることを知らせる鐘が単調なテンポで鳴り響いていた。
 どんな状況であろうと校舎の隅々まで届くように、と四ヶ所に設置された鐘はその役目を思う存分発揮しており、廊下を小走りで駆ける大和の耳にもきちんと届いていた。

(やばい、このままじゃ遅刻する……!)

 焦りに拍車がかかり、走る速度を心持ち上げる。
 午前中や大人しくしている分にはそう暑くないが、今は昼間で、それなりに身体を動かせば汗をかく気温だ。薄手の生地とはいえ長袖の制服が恨めしい。

(夜更かしなんかするんじゃなかった!)

 ちらりと後悔の念が頭をよぎる。日本語で埋まっていくノートが面白くて、つい何度も読み返しているうちに普段の就寝時間をあっという間に過ぎてしまったのだ。昼食を終えて空腹感が解消されたあとには、案の定強烈な眠気が襲ってきた。
 とはいえ、一番の原因はクロムの額に青筋が浮くほどに起きようとしない、自分の寝汚さなのだが。
 姉の「限定解除」には劣るものの十分恐ろしいクロムの形相を記憶の隅に追いやりながら、息が切れ始めたのを感じる。脳と肺もほんの少し酸素不足を訴え始めた。

(そもそも教室……というか、校舎と教師棟の間に距離がありすぎるんだって)

 心の中でひっそりと文句をつけ、足を止める。壁に手をついて呼吸を整える大和の正面にあるのは、長く続く廊下でもその行き当たりでもなく、足音の消える先、緑溢れる中庭だ。
 周囲にさっと視線をめぐらせ人がいないことを確認し、ある程度呼吸が落ち着いてきたところで壁から手を離す。背筋を伸ばして踏み出したのはその中庭で、顔には躊躇いを浮かべつつも足は止めない。
 土のやわらかい感触が、ブーツ越しの足裏にも伝わってくる。

(背に腹はかえられぬ、っていうし)

 昼休みをうっかり寝過ごして、いつもの個人授業に間に合わない――! と慌てふためく大和に、親切なクラスメイトが教えてくれたのがこの近道だった。
 いわく、素直に廊下沿いに進むより中庭を突っ切ったほうが速い、と。
 藁にもすがる思いで「それどこの中庭!?」とせまり、苦笑しつつも丁寧に道順を教えてもらった。そのクラスメイトに「ありがとぉー!」と叫んで教室を飛び出してきたのである。
 改めて思い返すと結構恥ずかしい己の所業に一人赤面してしまう。ごまかすように、せかせかと早歩きで目的の方向へ足を進めた。

(早く渡りきらないとっ)

 地面は芝などではなく土なので歩くと当然靴の裏は汚れ、そのまま校舎内を歩けば廊下に土汚れが付いてしまう。この近道が一応は禁止されているのもそのためで、上靴を履いたまま校庭に出てはいけません! というのと同じ理由だ。
 手観賞目的ではない中庭は、手入れはされているものの整然としているわけでもない。
 頭より上は元の世界では見なかった奇妙な形をした木々が点在し、腰より下は見たことあるような形の茂みがわさわさと揺れている。その光景は、欧米のガーデンのような華やかさとも、日本の庭園のような静けさとも違う。異世界情緒あふれる庭だ。
 大和が目の前にあるしなった枝を腕で軽く押しのけて下をくぐろうとした、そのとき。

「――え?」

 かすかな、しかしはっきりとした水音が大和の耳を打ち、それまでなりを潜めていた水の気配がするり、と近寄ってきた。
 今までにないその行動に、見入っていた中庭のこともクレイオの元へ遅れそうなことも忘れて動揺する。続いて耳に届いたのは、人を呼び止める声だった。

「シラー教官。ここにいらしたんですか」

 毎日耳にする柔らかな声が呼んだ、耳にしたくない名前に身体が跳ねる。

「……なにか私に用でも? アルテミス女史」

 応えたのは深みのある男性の声だ。大和はかの人の名前しか知らないが、応じたということはつまり当人な訳で。

(わ、まじで!?)

 背の高い木のために姿は見えないが、声の響き具合からして明らかに自分の近くで交わされるやり取り。
 こんなところに突っ立っていてはいつ見つかるか分かったものじゃない――とっさにその場にしゃがみこむと、手近な位置にある茂みに向かう。
 茂みが切れたところで用心しながら顔を出すと、残念なことに、視線の先には人がいた。

(あぁ、あとちょっとの所なのに!)

 もうあと二、三メートルで向こう側の廊下にたどり着ける。しかし大和の耳が捉えた会話が交わされているのは、その二、三メートルをばっちりと視界に収められる位置なのだ。向かう方向ではないことだけが幸いか。
 それに、今のところは胸の高さほどまである茂みのおかげで、向こうからこちらは見えないはずだ。とりあえず見つかってはいないと一息つく。
 名前と声から察しは付いているが一応確認しようと、身を隠している茂みから少しだけ顔を出して会話する人間の姿を盗み見る。
 かたや保護者であり脅迫者でもある、ヘルギウス魔導研究院院長レリア・アルテミス。もう片方は、直接の面識は一度もないが名前だけは要注意人物として大和の心に刻まれている相手だ。
 顔をはっきりと見ることは出来なかったが、噂どおりの黒尽くめと暗い色の赤毛は間違いない。

 ヘルギウス魔術顧問、シラー・ミディオン。
 いわく、魔術師らしい真っ黒な服で全身を覆い、蛇のような瞳で見下ろされるとそれだけで謝りたくなること必至な冷たく厳しい人物、とのことだ。

「えぇ、先日お話した件で」
「それはそれは。わざわざご丁寧に」
「いえ、こちらからお願いしたことですから」

 常と同じ柔らかなレリアに対し、シラーの声は嫌味っぽさというか、とにかく会話の相手に好意的ではないものをにじませていた。
 しかし、そんなことに気付く余裕のない大和は茂みに隠れたまま頭を痛めるばかりだ。

(なんてタイミングの悪い!)

 一応は禁止されているこの近道。厳しいことで有名なシラーに見つかったら怒られるだろうし、当然クレイオと姉の待つ部屋に遅れてしまうだろう。
 なにより、魔術に関わりたくない大和にとって『魔術顧問』のシラーは存在そのものが鬼門だった。  二人は立ち止まって話しているようで、しばらくはその場を離れる気配はない。しかし、今中庭を抜ければ確実に見つかってしまう。

「それについては私も同意しよう。講義を行うことには賛成だ」
「ではなにが問題なのでしょうか?」
「講義を誰が行うかが問題なのだと、聡明な女史にならお分かりかと思っておりましたが?」

 はやく立ち去ってくれ、という大和の願いとは裏腹に話は長引きそうな流れを見せ始める。
 向こう側までの距離は短いとはいえ、相手の視界の中に入る可能性は高い。見つからずにその距離を走りきれると思うほど、大和は自分の俊敏性にも脚力にも自信はなかった。
 らしくもなく舌打ちしたい気分になる。

(いっそのこと遅刻覚悟で引き返すか)

 仕方ないと諦め方向転換しようとして、ピタリと動きを止める。再度水音が聴覚を震わせ、大和の背中にぞわりとした何かが走った。
 声ではない、感情が直接流れ込んでくる――明確に向けられた敵意と、いくばくかの喜びと。
 まずい、と察して止めるよりも前にそれは動き、シラーの不審そうな声が大和の耳に届くまで一秒もなかった。

「どうされました、アルテミス女史」
「いえ、ちょっと立ちくらみが……」

 レリアがよろけて壁に手をつく。大丈夫ですか、と声をかけるシラーを目にしながら大和の顔から血の気が引く。

「顔色が悪い……少し休まれたほうが」

 シラーがレリアを本気で心配しているらしいことが声から分かる。確かに、今にも座り込みそうな様子ではあった。だがこの距離では顔色まで確認することは出来ず、それが余計に不安を煽る。

(待て、やめろ!)

 必死になって静止の言葉を心中で叫び続けるが、それでも膨らむばかりの純粋な敵意をコントロールできない。そもそも自分の感情すら思うように出来ない少年が、自分のものではないそれを制御できるはずもないのだが。

(黙れ、落ち着け、ここにいろ!)

 ぐらり、とかしぐ意識に身体も倒れそうになる。音を立てるのはまずい、とそれだけを思ってゆっくりうずくまった。さっきから息が苦しい。

※※※

 ベッドの上で横になったまま、大和はじっと見つめていた。
 自分しか居ないはずの部屋の、月明かりの届かない一点。そこに何かが居ると認めるのは勇気のいることだったし、その上呼びかけるとなればそれ以上の覚悟を要した。  それでも確かめることは必要で、それは大和にしか出来ないことでもあった。

「――なぁ」

 続きを口にするのには、一拍置くだけの勇気は必要だった。

「そこにるんだろう?」

 具体的にいつからかは分からない。ただ、声をかけたいのにかけれない、躊躇いを含んだ視線が大和の背中に注がれていることに気付いたのは、この世界に来て一週間にも満たない時期だったように思う。
 その存在をはっきりと捕らえたのは、どうやら姉が危ないことに巻き込まれたと知ったときだった。
 何度思い返してみても不思議な体験だったと思う。既に姉を追いかけて姿の見えなくなったクロムがどの方向に行ったか教えてくれる声、望めば見える、乗っ取ったかのような自分のものではない視覚。それが捉えたのはいやな笑みを浮かべる二人の男だった。
 そんなことが出来るのは、この世界にいるらしい『精霊』しか考えられない。

「いるなら、ちゃんと姿を見せてくれ」

 強く発された言葉に反応して、それは姿を現した。
 精霊という存在を知ったとき、真っ先に思い浮かんだどんな形とも違うものが床からゆっくりと這い出てくる。

「……へ?」

 現れたのは大きな水の塊だった。漫画やゲームによく出てくるような人型を模しているわけでも、獣のような形をしているわけでもない、本当にただの水の塊だった。
 想像していたのとはかけ離れた姿に呆然としていると、水の塊は表面を震わせ、なにが起こるのかと身構えるより前に分裂した。
 いくつもの玉になった水は、横たわったままの大和に突進してくる。

「っ、く」

 水玉が大和の身体に触れるたび、女性の声が頭に響いた。

『一緒に』『一緒に』『助けた』『落ちる』『落ちてきたとき』『一緒に』『そばに』

 ぐわん、ぐわんと頭に響くそれは脈絡とか文章とかが一切無視されている上に何重にもなって聞こえるので、大和にはさっぱり理解できない。なんとか聞き取れたのは、何度も繰り返される『一緒に』という一言だった。

(一緒に……なんだ?)

『血を』『流れる』『流れを操る』『助けた』『一緒に』『助けた』『役に』

 分からないなりに理解しようと試みるが、それは勢いを増すばかりで余計に混乱する。

「ちょっと黙って」

 さすがに脳内のキャパシティをオーバーしそうだったので振り払うようにして口にすると、水玉の動きがピタリとやんだ。なんだか随分疲れたような気がする。
 溜息をつく大和の視線の先で、あちこちに飛んでいた水の玉が集まって、再び大きな塊になった。大和の身体もそうでないところも、確かに水に濡れたと思った場所は全て乾いていた。
 水の塊は楽しそうに大和の周りを跳ね、離れる様子を見せない。

「……ついて、くるのか?」

 人の形にすらなっていない水の塊は、それでも大和に分かるようはっきりと肯いて見せた。

※※※

 あれ以来、その奇妙な生き物は大和の行くところなら何処にでも付いて回り、意識の中にもぐりこんでいるかのように時折呼応する。
 無害ならば放っておいてもいいと思っていた。そう、無害なら、だ。

(有害、とまでは言わないけど……)

 どういう訳か懐いているらしい大和の言うことを聞く気は一応あるらしいのだが、些細な感情の変化に飛びついては行動を起こす。大和が少しでも苛立てば苛立ちの元凶を、少しでも不快を感じれば不快の元凶を、全身全霊で排除しようとするのだ。
 どういう原理かは知らないが、狙った人間の気分を悪くさせたり動きを鈍くさせたり、そういうことがこの精霊には出来るらしい。

(人を傷つけたいわけじゃないのに)

 だからこそ、呼ばない限りは近づくなと言っているのに、この精霊はいっこうに聞き入れてくれない。

(まぁ、誰を攻撃してはいけないのかは、分かってみるみたいだけど)

 例えば、マイナスの感情が姉に起因するものである場合は決して手を出さない。本気ではないと悟っているのか、はたまた身内に手を出せばさすがの大和も黙ってはいないと悟っているのか。
 他にも苦手な相手はいるらしく、例えばクロムが近くに居るとあまり寄ってこない。苦手というよりはむしろ嫌いなようで、まれにクロムの傍に寄ってくるときはかなり明確な敵意を感じるが、今のところ何かを仕掛けたりはしていない。

(こんなことなら、あの場ではっきり断っときゃよかった)

 断ったところで、このしつこい水精霊は付いて回りそうだが。
 長く息を吐いて、だいぶ楽になった身体を起こす。どうやら落ち着いてくれたらしく、相変わらず気配はするものの先刻までの圧迫感や存在感はない。
 恐る恐る茂みからのぞいてみると、二人は軽い会釈を交わしているところだった。

(立ち話が終わりそうだったから、落ち着いたのか)

 頭を引っ込めてひとまずの安堵に浸る。額に浮いていた冷や汗を制服の袖口で拭った。

(はやく行かなきゃ)

 始業のチャイムはとっくに鳴っており遅刻はもう確定していたが、ここで休んでいればいつ同じような目にあうか分からない。土を払うのもそこそこに再度茂みから顔を出し二人の姿を確認すると、それぞれ別の方向に歩き始めているところだった。
 あの方向なら、レリアからは垣根が邪魔で大和の姿を捉えることは出来ない。シラーのほうも大和が角を曲がれば見えなくなるはずだ。

(よし)

 角までほんの四、五メートルだ。疲労の抜けない身体でも駆け抜けられる。大和はダッシュの体勢に入ると、覚悟を決めて地面を蹴った。
 呼び止められることなく角を曲がってもしばらく走り続けた。振り返ろうとはしなかった。

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お小言
そろそろ母上が起床する時間です!
結構たくさん書いた気がするのにそこまでバイト数がないYO!
さーてやることはまだあるぜやー。