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 クレイオの提案は、なるほどよく考えればとても良いものに聞こえた。

「研究員の方も利用できるはずですから、昼食のあとにでも行ってみてはどうです?」
「はい!」

 まだ読むことすらままならない文字の羅列を前にしても、和巳の機嫌はとても良かった。


title/探し物・落し物


 初めて足を踏み入れた学生棟は、和巳が普段出入している研究員や教師棟と造り自体はそう変わらないものだった。ただ、建設年数がだいぶ違うためか風合いが異なっており、それが妙な違和感を与えた。

(浦島太郎というか、なんというか……)

 フリーハンドで描かれた地図を片手にそれの示すまま進んでいると、茶色の詰襟を着た少年少女とすれ違うことが何度かあった。
 昼休みといってもまだ前半で、ほとんどの生徒が食堂にいるためか人通りは少ない。
 時折、『見かけない顔』の和巳を不思議そうな目で見つめる生徒もいる。皆が同じ服を着た群れの中だと、私服の和巳はどうも居心地が悪くなんだか背中がむずがゆい。

(ほんと、制服の持つ効果ってのは強いわ)

 応接室などがあるために部外者の出入が頻繁な教師棟や、基本的に学生と接点のない研究院とは違う。外から見た様がどんなに元の世界とかけ離れていても、ここは確かに学校だった。
 第三者的な立場になって初めて分かったのだが、学校や学生というのは独特の空気を発している。学生という身分を元の世界に置き去りにしてからまだ一ヶ月も経たないというのに、その奇妙な疎外感は和巳を落ち着かなくさせた。
 早いところ用事を済ませて帰ろう、と手書きの地図に目を落とす。学生棟の雰囲気に呑まれてしまっていたが、初めての場所で気を抜くと迷いかねない。

(えーっと……ここの曲がり角は無視して……)

 文字の解読に不安のある和巳のため、地図には文字が書かれておらずイラストのみだ。
 曲がる位置などの特徴は描かれてあるものの、その特徴を逃しはすまいと意識しすぎて背後から近づいてくる人間に気付かなかった。

「そこでなにをしている」
「はいっ?」

 慣れない場所で掛けられた声は低く、明らかに男性のもので聞き覚えがない。油断していたこともあって驚いた。なんか変な声が出た。
 今の聞かれてただろうかうわぁ恥ずかしい、と跳ね回る心臓を押さえて背後を振り返ると、そこに立っていたのはどこか機嫌の悪そうな男性だった。そしてその格好は、

「ホ……」

 和巳はうっかり口にしかけた名称を飲み込む。某魔法魔術学校を連想してしまった自分に罪はないはずだ。
 恐らくはローブと呼ばれる類の服は艶のない布地で、気温が上昇の一途をたどるこの季節にはとても不似合いな厚さだ。おまけに熱を吸収する黒い色のそれは首から足元まで全身を覆っており、見ているこっちが暑さに当てられそうである。
 暗い色の赤毛も、水色よりも薄い青の目も、着ている服も。全体的に艶がなく光を返さない。

(その場にいるだけで視界の彩度が落ちそうだわ)

 浮かべる表情も明るいと呼べるものではなく、眉間に皺がよっているわけでもないのにどこか不機嫌そうで神経質な印象だ。少なくとも自分の父親より年上ということはないだろうが、そう離れているようにも見えない。
 振り返った体勢で動きを止めた和巳に近づきながら、黒尽くめの男が再び口を開いた。

「学生ではないだろう……客人の予定はなかったはずだが」

 問い詰める、というよりは易しいが、優しくない問い方に慣れたその口調と態度から、彼は教師なのだろうと想像がつく。

「えっと……」

 和巳はなんと答えるべきか迷った。
 属する組織が違うとはいえ同じ敷地内にあるのだから完全な部外者、客ではない。そもそも招かれていないのだし。けれど学生でも教師でもない和巳は本来学生棟にいるべき人間でもないのだ。
 だからといって、自分が研究院に所属していることを素直に告げるのも躊躇われた。

(魔導研究って、なんだかんだで敵が多いって聞くし)

 どうやら魔術自体がそこまで歴史のある技術ではないらしい。特に魔術を扱うときに必要とする力の源、精霊を神聖視する国では一部の特権階級にのみ許された力で、この国ほどオープンにしているほうが珍しいのだという。魔術がようやく根付いてきた現状では、それをさらに発展させた魔導は精霊の意思を無視した暴力的かつ非人道的なものと非難されることが多い――全てメノウ経由の情報だ。
 レリアが院長を務める研究院とて例外ではなく、設立時にはいろいろ反対意見もあったと聞く。

(まあ、新しい技術に反発はつき物よね)

 まだこの世界の常識を獲得していない自分にとっては、その一言で片付いてしまう問題だ。
 しかし、いい加減何か言わないと視線が痛い。
 この手の質問と視線は、この世界に来た直後に経験している。だが、あの時と違って今は返せる答えがちゃんとあるのだ。
 いくつかある答えの中から、結局自分の所属は避けて目的だけを答えることにした。

「あの、クレイオ教諭に教えていただいた図書室に行こうと思いまして」
「クレイオ教諭に?」

 細い眉がその名前に反応してかすかに上がる。

(よし、つかみはOK!)

 心の中で密かにガッツポーズをとりながら、表面上は平静を装う。
 クレイオ教諭は責任者で人徳者だ。名前を出せば和巳の身元よりそちらに注意が向くだろうと踏んだのだが、狙いは正しかったらしい。
 そして、その後ろ盾を証明するための武器を和巳は持っていた。

「はい。紹介状も書いていただきました」

 地図とは別に書いてもらった書状を差し出す。
 和巳ならば解読に三十分はかかりそうな書面には、図書室を初めて利用する和巳が面倒な手続きや身分証明を行わなくても済むように書かれているはずだった。
 途中、渋面になりつつも書状に最後まで目を通した黒尽くめの男は、一番下に書かれたサインを見ると「うむ」と唸った。

「この署名、確かにクレイオ教諭のものだ」

 元通りに折りたたんで返された紹介状を受け取る。そりゃあ、あのサインは見間違えようがないだろう。
 べるでらいと・えるばいと・くれいお、と、現役女子高生(だった、と言うべきだろうか)の和巳よりも丸くてかわいらしいひらがなで書かれたサインはとても特徴的だ。
 和巳に読めるということは日本語であり、日本語であるということはこの世界の人には普通読めないサインということになる。一応こちらの文字でも署名がなされているが、ひらがなのサインはなかなかに真似できるものではないので、本人確認に一役買っているわけだ。

「ところで、図書館の場所は知っているのか?」

 無愛想にも種類があることは知っていたが、どうやらこの男はクロムと似たような無愛想らしい。淡々としていながら声や表情のどこかに不機嫌さが浮く態度が一瞬だけだぶった。
 和巳は手元で広げていた地図を、黒尽くめの男にも見えるようにかざす。

「紹介状とは別に、地図もありますので」
「そうか」

 素っ気無いが納得したらしい返答。どうやら職務質問は終わったようだ。
 そろそろ行ってもいいだろうかと和巳が問うより先に、男が薄い唇を開いた。

「初めてだと迷うかもしれない。案内しよう」

 唐突過ぎる提案に驚いて動けないでいると、黒尽くめの男は返事も聞かずに和巳の前を歩き始めた。それは確かに地図で示された方向だったので、和巳は慌ててその隣に並ぶ。
 見上げた横顔に浮かんだ表情だけでは、ただの親切なのか他に意図があるのか、判断しかねた。
 ありがとうございます、と軽く頭を下げて素直に礼を述べる。でも、と続いて口にした言葉には戸惑いが混じっていた。

「いいんですか? ご迷惑では……」
「気にしなくて良い」

 素っ気無い返事ではあるが、これ以上遠慮するのは失礼になるだろう。
 もう一度軽く下げた頭を戻すと、薄い、濁っているわけではないが澄んでもいない青の双眸とかち合った。

「紹介が遅れた。私はシラー・ミディオン。ここで教師をしている」

 とりあえず、この男が教師だという予想は当たっていたわけだ。自分の観察眼も結構なものじゃないかと調子に乗ってみる。学生棟にいる大人でなおかつあのような事を聞いてくる時点で、気付かない人間もいないだろうが。

「和巳です。和巳・高柳……先生でいらしたんですね」

 しっかりと自己紹介しつつ、シラーという名前に引っかかりを覚えて脳内検索を試みる。確かに、どこかで聞いた覚えのある名前だ。
 検索中、並んで廊下を行く歩調はゆるい。気を遣われているのだろうか。

「タカヤナギ、というと、もしかしてこの間編入してきた?」

 シラーの眉が少し跳ね、驚いたように訊ねられた。当たり前のことだが、日本人の苗字はこの世界では珍しい。

「あ、弟をご存知なんですか? いつもお世話になっておりますー」

 自分でも白々しいと思ったが、ここはチャンスだとニッコリ笑う。
 大和の存在を知っているなら、あの子がどういう事情で編入することになったか知っているはずだ。
 『魔導研究員』ではなく、『編入生の姉』ならさして心証も悪くしないだろうし、和巳が研究院に在籍していることを知られても問題ない。この国に身寄りのない若者が有力者の世話になっている、という話で片付くからだ。

「いや、直接の面識はない。ただ、編入というのは滅多にないことだからな」
「そうなんですか……」

 目立つのが嫌いで人見知りで。大人しい性格ではないけど押しに弱くて気の弱い弟。
 大丈夫だろうか――自分が過保護なのは自覚している。大和には大和で強いところがあるのも知っている。それでも心配してしまうのは過保護ゆえだ。

(でも、多分大丈夫なんだわ)

 なんだかんだで紅白もちは面倒見がいいし、二人は上手くやっているように見えた。学校生活においては部外者である和巳が気にしすぎるのは良くない。
 さびしい、と感じるのは和巳の身勝手な感情だ。
 近寄りがたい印象とは裏腹に世間話を続けるシラーは意外と饒舌で、気さくとまでは言わないが会話が途切れる気配はない。

「君はアルテミス女史のところで働いているのだろう。何故、弟と同じように学校に入らなかった?」
「へ?」

 編入生の存在を知っているなら、その姉が研究院で働いていることなどみんな知っているのかもしれない。だから、レリアの元で働いているのだろうと断定口調で言われたことに疑問はない。
 他の部分で波立った心を悟らせまいと、日本人が得意とする愛想笑いを浮かべて答える。

「年齢的にひっかかっちゃって……だから、研究員の方々にお話を聞いたり、クレイオ教諭に文字を教えてもらっているんです」

 年齢的にアウトだなんて。それはきっと、表向きの話なのだろうけど。
 誤魔化すように、後ろでひとつに縛った髪からはみ出た後れ毛を耳にかけなおす。シラーは髪をいじる和巳の手首に目を留め、怪訝そうに眉をひそめた。

「その腕輪は――」

 指摘されて、髪に触れた手にはめられている銀色の腕輪へ視線を移した。レリアを知る人なら見覚えがあっても不思議ではない。

「あぁ、これですか?」

 つい先日までは保護者兼上司のものだった腕輪を主張するように、手首をひらひらと振った。繋ぎ目のない銀色の輪は腕が動くたび揺れるが、しっかりと肌に密着する指輪ほど気にならない。

「理由はよく分からないんですけどレリアさんが……一昨日までは指輪だったんですけど、どうも気になって仕事がし辛い、って言ったら腕輪と交換してくれたんです」

 それはもうあっさりと。親切ではあるが、これを身に着ける意図がさっぱり読めない。
 はめ込まれた白い石は相変わらず光を返しも放ちもしておらず、艶のないそれは黒尽くめの教師に良く似合うだろうと思った。

「でも、不思議ですよね。宝石みたいにキラキラしてる訳じゃないし、色が鮮やかというわけでもないし」
「……そうか」

 一拍遅い返答だったが、恐らく感想に困ったのだろうと和巳はたいして気に留めなかった。
 男性というのは得てして宝石の類に興味がないと聞くし。

「あぁ、でも」

 ふと、レリアの腕輪、というキーワードで思い出した弟とのやり取りが頭に浮かんだ。
 あいつは自分の視力に絶対の自信を持っているから強気に主張していたが、身に着けている当人がその色を見間違うはずない。

「弟は青く光ってる、って言ってたんですよね。これ」

 光ってもいないし色なんてついていないのに。
 疑問に対する返事はなかったが、丁度目的地に着いたところであったので、やはり和巳は気に留めなかった。



※※※



 分類され整頓された本が並ぶ図書室に人はまばらで、いるとしても茶色い詰襟を着た生徒しかいない室内では、和巳・高柳と名乗った少女は浮いて見えた。

(浮いて見えるのは、私も同じか)

 挨拶して去っていく生徒や、こちらを振り返る生徒たちは、首をかしげる動作も一緒であることが多い。
 教師が利用するのが珍しいことではないとはいえ、その利用時間はたいていが放課後だ。昼休みに、そのうえ本を探しているようにも見えない教師はさぞ奇妙に映るだろう。
 それでもこうして待っているのは、慣れぬ場所に案内しただけでハイ終わり、というのが些か薄情かと思ったためだ。

(それに、引き出せる情報がまだあるかもしれない)

 ちらりと向けた視線の先で、眼鏡をかけた少女がカウンターに座る司書となにやら話している。
 図書室という場所柄ひかえられた声量に加え、それなりの距離をとっているために話の内容までは届かない。
 ただ、自分と会話したときの、砕けているわけではないが敬語を使い慣れていない言葉遣いから推測できることはいくつかあった。

(研究員は皆それなりの家柄の出だが……どうやら違うらしいな)

 貴族の子女ならば当然受けているであろう所作の教育を受けているようには見られない。貴族といってもそう高い身分ではないこの国ではあまり当てにならないかもしれないが、少なくとも三公家に連なる人間や他国の貴族ではないだろう。
 彼女の上司に当たるレリアとて、貴族ではないものの地方の豪商一族の出身だ。数代前に当主の姉妹か誰かが三公家に嫁いだ関係で、貴族との関わりは深い。
 商人として、貴族の外縁として。その双方で築き上げた人脈を駆使して彼女が集めるのは、それなりの地位にありながら何らかの事情で一族の外に出された人間か、もとより身内のいない、身寄りのない人間だ。
 今回は身寄りのない姉弟を引き取ったという話だったので後者にあたる。
 ただし、新たに研究員となったはずの少女はこれまでの研究員とどうも違うらしい。

(女史に心酔している、というわけでもないようだ)

 レリアについて話す様子もごく普通のものだった。
 とはいえ、元々どのような経緯でヘルギウスに身を置いているかは問題でない。女史がどういった目的で手元に置いているかが重要なのだ。
 目的以外にも疑問はある。試金石などというかなり貴重なものを、何故身につけさせているのか。

(あの腕輪についている石、あれは確かに試金石だ)

 試金石とは見た人間の魔力がどういった属性に適しているかを判別するためのものだ。その色は見るものによって異なる。
 青と緑を目に映すシラーは水と土の属性を持っているし、希少な風の属性を持つ人間によれば無色透明の石が輝いているように見え、火の属性を持つクロム特待生にはその瞳と同系の色が見えているはずだった。
 青く光って見えたということから、彼女の弟が持つ属性が水であると容易に知れる。だが。

(光って見えない、か……よほど魔力が低いのかそれとも他になにかあるのか)

 試金石の色によって判断できるのは見る者の属性だけであり、魔力の強さを測ることが出来るのは試金石を身につけた人間だけである。
 試金石を持たないシラーに彼女の魔力を図ることは出来ないが、どの属性の色も見えないとなればそれ以外に考えられない。

(こうなると、学院に入った弟の方が目的か)

 しかし、そうなると別の疑問も出てくる。
 弟の方が目的であるならば、その姉をわざわざ専門知識を必要とする研究に携わらせる必要はないはずだ。彼女の豊富な人脈を持ってすれば、自身の手元に置かず生活に困らない仕事に就かせることなど造作もない。

(やはり、何かあると考えたほうが妥当だろうな)

 これ以上考えても情報が少なすぎるので意味がない。そう結論付けて意識を戻すと、少女は肩を落としてカウンターから離れたところだった。
 気落ちした様子でシラーのほうへ寄ってくる。

「……なにを借りに来たんだ?」

 図書室に来たのだから本を借りに来たことは確かだろう。
 しょげた顔でシラーの前までやってきたので訊いてみると、彼女は一層眉尻を下げて答えた。

「絵本を探しに来たんですけど……」
「絵本?」

 絵本を読むような年齢には見えないし、そんなものを研究で使うようにも思えない。ついいぶかしげな声で聞き返してしまう。

「はい。簡単な単語が多い絵本なら、読みやすくて勉強になるかな、って」

 クレイオ教諭にアドバイスしていただいたんです、と項垂れる様はまだ幼い。

(そうか、文字も読めないといっていたな)

 最初は山奥に住んでいたという話だったが、後に正式な書面で知らされたのは海を渡った国外から来た、という話だった。
 読み書きの教育を受けていないのではなく使用する文字が違うらしい。どのみちこちらの文字を学ばなければならないことに変わりはなく、絵本を使うというのはクレイオ教諭らしい発想といえた。
 そしてこの図書館を紹介したのだろう。

(だが、子供向けの絵本はさすがに置いていなかった、と)

 十歳以上の子供が対象のヘルギウスには、言葉を覚えるのに丁度いい、簡単な絵本は必要ないと考えるのが自然ではある。
 そう、ここには置いてないかもしれない。

「絵本を貸し出している場所なら心当たりがある」

 唐突なシラーの進言に彼女は目を丸くした。
 ここでなくとも、本を借りるならもっと適した場所がある。

「国立図書館なら置いてあるだろう」
「その図書館、私みたいな外国人でも利用できますか?」

 場所の前にそこを聞いてくるか。それも不安と期待を浮かべた眼で。
 やはり当初言っていた「山奥」ではなく「海の向こうの国」から来たという話がどうやら事実らしいと、そんなところでまた情報を脳内で更新して肯く。

「休みの日にでも、弟と一緒に行くといい。ここの学生なら問題なく利用できるだろう」
「ありがとうございます!」

 沈んでいた顔が一気に明るくなる。続いて場所を訊ねてきたので、彼女の手にある二枚の紙のうちの一枚を指差した。

「その紙を使ってもいいか?」
「あ、はい。大丈夫です」

 カウンターまで戻って借りた筆で、この図書室を示す地図の裏側に別の地図を描いた。
 分かりやすい建物だし迷うことはないだろう、と一言添えてそれを手渡す。彼女は何度もありがとうございます、といって頭を下げた。

「それじゃあ私、これからクレイオ教諭の所にいかないといけないので!」

 最後にもう一度笑顔で礼を口にすると、彼女はくるりとシラーに背を向けた。
 どこかで小さくシャン、と奇妙な音がしたが、喜びでいっぱいの背中が勢いよく図書室から出るのに気を取られてしまう。

(明るいというか、元気というか)

 やはり研究院で働くよりも、生徒に混じっているほうが似合っているように感じた。
 自分が考えても詮無いことだ――同情のようなものを振り払い、図書室を出ようと足を踏み出す。数歩も行かずにかつり、と何かを蹴る感触にあたり、視線をおろして立ち止まった。

「……?」

 軽く蹴ってしまったそれは、片手に収まるサイズの布袋だった。重さやデザインからして財布だろうと見当がつく。持ち上げるときに、硬貨同士がぶつかるような音がした。
 おそらく、今しがた去っていった彼女が落としたのだろう。先ほどの音の正体はこれか。
 明るい色の財布には、シラーも良く知る紅い色をした石が紐で結わえてある。

「これは……」

 紅い玉自体はよく目にする魔石だが、同じ色の飾り紐は持ち主に覚えがあった。
 財布の落とし主と飾り紐の持ち主の間にある関連を今更思い出し、シラーは軽く溜息をついた。

(なるべく早めに返しておいたほうが良いだろうな)

 なにせ財布と魔石、どちらも貴重品だ。

※※※

 なるべく早くといっても、昼休み中に歩き回っているだろう人間を捕まえるのは骨が折れる。
 かといって返さないわけにも放置するわけにもいかない。それにシラーは午後一番に授業があるので一度教師棟へ戻らなければならず、既に図書室を後にして自室へ向かっている途中だ。

(授業の合間に行ったほうが確実だろうな)

 そう自分の中で算段をつけたところで、視界の隅にはっきりとした白色を捉えた。

(……丁度いい)

 その白色を目指す方向へ足を向ける。
 白い短衣を着ているのは武術特待生の三人だけであり、その中で髪まで白いのはただ一人だ。
 今を逃してもシラーは困らないが、持ち主が特定されている以上落し物はなるべく早めに渡しておいて損はない。
 近づくにつれその姿がはっきりと見えてくる。

(珍しいな、他の生徒と一緒とは)

 視線の先にいるのは身長差のある二人組だった。そしてその低い方が、シラーの探していた生徒である。
 小柄であることよりも眼を引くのは、全体的に白い色彩。その上質な紙のような白さとは対照的な、黒い髪の生徒と何か喋っている。

「――いや、将棋とチェスじゃだいぶ違うよ」

 特に背の高い黒髪の生徒の方は声がよく響いており、会話の内容は意識せずとも耳に入ってきた。

「だが、似たようなルールなんだろう?」
「似てるけど、将棋のほうが複雑というか面倒というか」
「……何故、面倒な方は分かって簡単な方は分からないんだ」
「いやルールは似てる。ルールは似てるんだって!」

 話している様子からして同学年だろう。黒髪、というのが妙に記憶を刺激したが、みない顔だった。武術専攻の生徒だろうか。
 そのひっかかりを思い出すことは出来ないまま、ひとまず用を済ませるために白い方を呼ぶ。

「クロム特待生」

 クロム・ディアーズロックはしっかりとこちらを向くよりも前にシラーの存在に気付いていたはずだが、自分が呼ばれるとは思わなかったのだろう、怪訝そうに眉を寄せた。想定内の反応だったが、それよりも一緒に振り返った黒髪の生徒がひどく驚いている様子なのが気になった。

「シラー教官、なにか御用ですか」

 教師に対面する上で最低限の敬意を払いつつも素っ気無さを感じさせる口調は、この前呼び出して以来ひどくなっている。上っ面だけの敬意は分かりやすく、どれだけ背伸びをしようとまだ子供っぽさを残していた。

「これはお前のものだろう」

 飾り紐が見えるようにして魔石をぶら下げると、表情が「怪訝」から「不審」へと移った。

「それをどこで」
「図書室だ」

 簡潔にそれだけを答える。誰が落としたのかを言っていないだけで、拾った場所は嘘ではない。
 しかしクロムには思い当たる節があったようで、眉間の皺を緩めて軽く頭を下げた。

「わざわざありがとうございます」

 滅多に見られない殊勝な態度だ。気持ちが篭っているかは別として。
 妙なのはもう一人の生徒だ。表情は固まっており、顔も血の気が引いている。クロムが他の生徒と一緒にいるのは珍しかったが、シラーの姿を目にしてここまで驚く生徒も珍しい。
 黒髪の生徒はシラーが手にしたままの財布に改めて気付いたらしく、あれ? と首をかしげた。

「どうかしたか」

 財布について知っている様子の生徒に問うと、彼の動きはピタリと止まり、顔からいっそう血の気が引いた。
 クロムが面倒そうに口を開く。

「それはこいつの姉に貸してあるものなんです」

 赤い双眸に視線だけでこいつ、と示されたのは隣に並ぶ背の高い生徒だ。見ない顔だとは思っていたが、編入生ならば納得がいく。シラーはまだ会ったことがないからだ。
 つい先ほどまで会話していた人間の弟だという事実に少なからず驚きを感じて、青ざめた顔を見返す。
 どこか茫洋とした雰囲気の少年は快活な印象の姉とはあまり似ていないが、この国の人間とはどこか趣の違う顔立ちに通ずるものはあった。

(こいつか……)

 レリアの新しい手駒である可能性のある少年を、不自然でない程度に観察する。
 短い髪に、薄墨を流したような黒い眼。ひょろりとした体躯は小柄なクロムと並ぶことで余計縦の長さが強調されるが、全体のシルエットは細く制服が少しだぶついていた。

(アルテミス女史という繋がりがあるのなら、一緒にいるのもうなずける)

 その姉のほうとついさっきまで一緒だったことなどおくびにも出さず、視線は逸らさないままにそうか、とだけ応じておく。

「ならば君に渡しておこう」

 財布を持っていた手を黒髪の少年へ差し出した。身内に渡せるのならそちらのほうが良いだろう。

「へ、あ、はい」

 いきなり話を振られいささか慌てながらも、黒髪の編入生は両の手のひらを広げてシラーへ伸ばした。素直に伸ばされた手のひらへ落し物を乗せたとき、神妙な表情を浮かべていた顔にぱっと驚きが広がった。

「――え?」

 恐らくは無意識のうちに漏れた戸惑いの声に少年の視線を追うと、手のひらの上で紅い魔石が小刻みに震えており――それを不思議に思う間もなくあっけない音を立てて割れた。

「え、えぇぇぇぇぇえ?」

 細い目を常にないほど開いて驚くシラーと、同じくなにが起きたのか分からない様子で魔石を見つめるクロム。編入生の方は驚くというよりパニックに近いようで、真っ二つに割れてしまった赤い玉と二人の顔へ視線が行ったりきたりだ。

「……割れた?」

 魔石といえど物質的には石である以上、割れることがないわけではない。しかし、触れただけで割れるとなれば話は違う。特に火の魔石は、風の魔石に次いで硬度の高いものだ。
 今、確かに目には見えない力が働いた。

(試金石の青――まさか!)

 めまぐるしく回転する思考が行き着いた先は信じがたく、魔石が割れた以上の驚きと衝撃をシラーに与えた。
 試金石の色が青く光って見えたという話から、彼の属性が水であることは容易に知れた。
 水は火を消すために魔力の面でも反発し、そして魔石はそれぞれの魔力に満ちている。

(火の魔力の塊である魔石に、強い水の魔力が触れて割れたとしか考えられない)

 そういう事例がないわけではない。実際、十数年前に似たような光景を見たことがある。
 とはいえ、シラーが見たのは『魔石など見たことがない』という少年が触れた、鮮やかな緑の石にひびが入る瞬間の話だ。

(魔石が耐えられないほどの魔力を、放っているのか)

 それは容易には信じがたい推測であった。自然、眉間が険しくなる。それと同時に自分の中でいくつかの要素が繋がり、ようやくあの女の策に気付く。

(――これが狙いか!)

 怒鳴りたくなる衝動を抑えるのが精一杯で、ゆがむ表情を隠せない。
 編入生の顔色はこれ以上青くなりはしないだろうというほどで、シラーの表情を目にして軽く身体をびくつかせた。
 レリアがこの編入生の能力について周囲に告げずとも、これほど無防備にその高い魔力を放っていればいずれ誰かが気付く。
 放置しておくのは危険すぎると、良識を持って魔術に携わる人間ならばその力を正しい方向に導いてやるべきだと考えるのが自然だ。

(それも、重点的に時間を割いて教えなければならない)

 そうなれば、当然こういった話が出てくるはずだ――彼を空席のままの魔術特待生に、と。
 そしてそれは、あの女策士の狙いでもあるはずだ。彼女が何も言わずとも、この少年はここにいるだけでいい。誰か一人でもその魔力の高さと無防備さを知れば、彼は長いこと空席のままである魔術特待生の筆頭候補になれる。

(こんなことなら、魔術特待生の枠を早く埋めるべきだった!)

 シラーが気にしていた属性と相性の問題など、魔石を割るほどの魔力を前にしては意味がない。
 この国随一の剣士でありながら、風の魔術を使わせれば右に出るものはいない、と謳われるアダマス・サリエでさえ、魔石にはひびが入る程度だったのだから。

「あ、あの……割ってしまってすみません、でも別に握ったりとかしてませんし、なんで割れたのかオレにもよくわかんなくてっ」

 なにを勘違いしたのか、黒髪の編入生は謝罪の言葉を口にし始めた。
 だが、あの魔石はクロムのものであってシラーのものではなく、お門違いもいいところだ。なにより、自分の魔力が魔石を割ったのだと気付いていないようである。
 ぎり、と奥歯をかみ締める。

(今は、あの女の策に乗るしかないか)

 当人の安全のため、そして生徒全員の安全のため。
 策に乗るしかない悔しさに拳を強く握り、その一瞬で昂った感情を無理矢理外へ追い出す。それでも発した声は常より低く、慣れない編入生は震え上がった。

「姓は高柳、だったな。名は?」
「や……大和、ですけど……」

 恐る恐る答える編入生の顔はこれからなにを言われるのか分からない不安と混乱で真っ青だった。

「――来なさい、大和」

 じろり、と青ざめた表情の中で揺れる黒い双眸をひとつ睨んで、腕を掴む。教師棟とは別の方向へ歩き出すと少し抵抗する様子を見せたが、有無を言わさない力で腕を引いた。

「来なさい。その力は放置しておくのが危険なレベルだ」

 戸惑うように引きずられる大和の後ろから、無表情のクロムがついていく。いつもとは真逆の並びだった。




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お小言
和巳さんは多分、ハリ○タは原作派ではなく映画派だと思います。
大和くんは多分、ダレン・シ○ンを漫画で知った子だと思います。
ちなみに木田は後者の読破を途中で諦めた人間ですorz