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title/ゆめうつつ


 どこか遠くで、水の音がする。

 音はイメージとなって、水乃の頭の中で展開されていた。暗闇の中、透明な水の上に、何処からか落ちてきた水滴が音を立てて着水する。
 いつしかイメージは本物の映像となり、雫はまるでCMの一コマのように、ほんの少しの飛沫を上げながら深く溜まっているのであろう水溜りに溶け込んだ。水滴の落下するスピードは一定で、水面へと吸い込まれるように落ちてゆく。波紋が広がり、おさまる前に再び水滴が降ってくるため、低い波は決して消える事がない。

 やがて水面に光がともった。否、どこかで灯された蝋燭か何かの明りが水鏡に映っているのだ。水滴が落ちるたび、灯火もゆれる。
 歪曲した視界の中、炎に照らされて人影が二つ映った。水乃の視線は雫の落ちる水面に固定されて動かないため、当然映るものは全てが歪んでしか見えない。揺れる二つの人影は座した格好で向かい合っていて、ひとつは体格がよく、もう一方は細い体つきをしていた。
 暗闇に眼が慣れるにつれ、水乃の聴覚も水音以外の音を拾い始める。厳格そうな男の声が、少しずつ水乃の耳に染み渡ってゆく。おそらく、体格がいいほうの声だろう。

 ――恵みの雨をもたらすものよ、貴様は同時に災いをも呼び込む。

 空気を震わせた男の声は低く、まるで絶対者が審判を下すかのように淀みない。
 水乃の胸に痛みが走った。それが物理的なものなのか心理的なものなのか、水乃には判断できなかった。
 ただ声は誰かを咎め、非難している。己の意識の中なのに、その対象が自分ではなく細身の人影である、ということだけは理解できた。
 水鏡の向こうでは、男が何度も似たような事を語る。語りかけられた人影は、何も言い返さない。その光景に、水乃の胸はまた痛む。
 映画を見て主人公に感情移入しすぎたときのような。そんな感覚に陥り始めたとき、何度も体験したこの状況の中から見つけ出した一つの事実を、水乃は自分自身に言い聞かせた。

 ――夢だ、これは。

 はっきりとした意思を伴って、水乃は同じ言葉を繰り返す。

 ――夢だ、これは。

 浅いまどろみの中で見る、水乃の記憶のひきだしだ。
 心の中で強くはっきりと断言した刹那、鋭い痛みが頭に走り、小さく何かがはじける音がして視界が黒一色に染まった。




 弾ける音は覚醒の証拠で、視界が黒くなったのは瞳を閉じているから。
 ……じゃあ何でこんなに頭痛がするのだろうか。

「……さい、起きてください。朝丘さん!」

 少し高めの少女の声と大きな音が耳に届くのとほぼ同時、頭をとんでもない痛みが襲った。

「――――っ!」

 その痛みのあまりあげかかった悲鳴を何とか飲み込む。おそらくは叩かれたのであろう頭頂部を反射的に腕で庇いながら、水乃はこんな恐ろしい所業をやってのけた人物を見上げた。

「田所、痛いって!」
「あ、やっと起きてくれましたか」

 いきなりはね起きていきなり叫んで、今にも飛びかりそうな水乃をものともせず、目の前にいる少女は微笑んでいた。
 それはもう、花が飛びそうなくらい胡散臭く爽やかに。その手に握られているのは丸められた「夏休みの生活」。
 基本五教科のワークだが、一冊ならまだしも五冊いっぺんに丸めて武器として使用するか、普通。威力倍増だぞ?

 その様子を、微笑をたたえつつ平然と眺めている襲撃者は、水乃より色素の薄い髪をうなじが隠れる長さで切りそろえた少女。ちなみに同年の中学二年。
 覚醒と怒りは比例する勢いで増していき、水乃は寝起き特有のぼやけた頭で襲撃者に当然ともいえる抗議の声を上げた。

「もうちょっと手加減してくれてもいいじゃん!?」
「そうすると起きませんから」

 相も変わらず飄々とした態度でよくもまぁ悪びれもなく。口の端が引きつるのを自覚しながら、水乃は必死の反論を試みる。

「そうとも限らないって! 意外に優しく『朝丘さん、もう時間よ』とかって起こしたら起きるかもしれないだろ!」
「それは実証済みですよ? その起こしかただと一時間はかかります」
「……っ」

 いつそんな実証をされたのだろうか。ちょっと訊いてみたい。

「さすがに私も遅刻には付き合えません」
「……すいません。今度から気をつけます」

 先程までの勢いは何処へやら、水乃は素直に謝った。彼女が起こしてくれなければ、きっと誰も起こさない。この部屋には彼女と自分だけなのだ。

「分かってくださればいいです。でも」
「でも?」

 まだ何かあるのか、と言外に含ませて見返すと、彼女はその穏やかさ(胡散臭さ)の増した微笑で答えた。

「その台詞、今日で五十六回目だと思うのですが」
「……よく数えていらっしゃる」

 はっきり言ってそんなに何度も言った覚えはないし、田所が数えていたのかどうかも怪しいものである。だが自分と彼女ならありえそうな話だ。そもそもこの親子はそういったことには抜け目無い。
 うんうんと唸っている水乃は無視して、田所はテキストを広げた。

「それでは続きをしましょうか。何処まで自分の意識があったか覚えていますか」
「数字の羅列という催眠術にかけられたのまでは覚えているとも」

 きっぱりと言い切った水乃に、さすがの彼女もほんの少し固まった。
 時刻は正午を少し回ったくらい。高い位置に昇った太陽に瓦屋根を明るく照らされる、ごく普通の日本家屋の一室。何の変哲もない内装だが、女子中学生が住まうにはいささか渋いその部屋。
 朝丘水乃ともう一人の少女は古びたちゃぶ台を挟んで座っている。

 彼女の名前は田所遥。名前からわかるように、水乃も受講している「田所学習塾」の塾長の娘だ。彼女の母親の手を一番焼かせている水乃とある一点において共通しており、結果として悪友という関係にある。
 会ってからまだ四ヶ月ほどだが、今では夏休みの宿題まで面倒を見るほどの仲だ。  最も、宿題については裏に塾長の影がちらつくが。

「策士親子め……」

 二人の通う中学は別なものの、夏休みの宿題などどこでも似たり寄ったりなので学校が違っても対応できる。
 どうせ同県の公立だからこの手の問題集なんて同じ会社のものを使うに決まっている。そのあたりは妙に機能的だ。答えを写せるあたりはフ○トに感謝だ。
 夏休みは始まったばかりだが、『長期休暇は遊ぶもの』と高らかに宣言する水乃は、当然のごとく課題に手をつけていない。つけるつもりも無い。
 田所自身が水乃の課題の心配をしたのか、はたまた彼女の母親の差し金か。どちらにせよ、水乃はこうしてせっせとシャーペンを動かす運びとなった。

「それにしても、この部屋暑いな。クーラー無いの?」

 うんざりとした口調で水乃は不満をぶつけた。
 こんな面倒ごとを引き受けている友人に対し、ここまで遠慮の無い物言いをするのには理由がある。

 水乃は、自分が冷房が無いと生きていけない人間だと自負している。
 そんな人間をお情け程度にしか扇風機が回らない部屋に、何時間も(強調)、勉強させるために(重要)、投げ出すのはいかがなものか。
 夏休み明け教師に長々と説教を聞かされずに済むのは彼女のおかげだが、『余計なことを』と思わずにいられない。
 対する田所もそれを心得ているのか、水乃の態度になんら不満の無い様子で答える。

「だったら早くこれを済ませて塾へ行きましょう。塾はクーラー完備です」
「補習のときはつかないけどね……」
「それも罰だと思ってください。来年からはきちんと受けるように」

 声を潜めて言った愚痴にも律儀に返答しつつ、釘を刺す事も忘れていない。ここまでくると彼女の厭味な性格が心地良くさえある。予想通りの反応という意味で。
 田所のそんな性質にも慣れたので、水乃はあまり深く突っ込まずに話題を変えた。

「あ、そうだ。この間塾で綺麗な声聴いたんだ。知らない?」

 よく考えればかなり突飛な質問だったのだが、水乃はあまり気にかけない。説明なんて後ですればいいのだ。

「その言葉だけで理解できる人がいるなら是非お会いしたいのですが」
「……素直に『訳が分かりません』って言えばいいのに……」
「で、その声がどうかしたんですか?」

 遠回しな言い方に眉を顰めて水乃は呟いたのだが、いくら音量を下げても彼女の耳には届いてしまう。そんなことは短い付き合いながらすでに知っていたため、田所が答えてくれるうちにと、水乃は言葉を続けた。

「いやー、あまりにも綺麗な声でさ。是非ともお近づきになりたいと」

 自分で言うのもなんだが、水乃は結構な声フェチだ。うなじも太股も手首足首全部好きだけど、でも何より人の声に心惹かれる。
 田所はそんな水乃の性癖を知らないだろうが、年齢の割には親父くさいことを口にする性格は知っているので、呆れながらも引いたりはしない。

「はいはい。それで、その声を聞いたのはいつです」
「補習の日」

 今までの問いには全て即答した田所が、そこで初めて考え込んだ。

「補習の? ……おかしいですね。その日は朝丘さん以外に、というか基本的にうちの塾で補習を受けたのは朝丘さんだけですが……」
「説教は後で聞くから」
「どうせ眼を明けて寝るでしょう」
「いやぁ、さすがにそんな器用な真似は……じゃなくてだねっ」
「話を戻しますが、補習の日は誰もいないはずです。あなたと母を除いて」

 永くなりそうな予感がしたので水乃は話を元に戻す事を試みたが、田所はきちんと釘を刺しながらも自力で軌道修正してのけた。

「……そうなの?」

 やや間をおいて、水乃は再び問うた。

「ええ。聴き間違いとか空耳とかじゃないんですか」

 いともあっさりそう言われ、あのときのことを思い出してみる。
 清らかで美しく、清水を彷彿とさせる声音。あれから四日たった今でさえ、克明に思い起こすことが可能な音。
 あんなにも、心に響く声は聴いたためしがない。

「そっかぁ……」

 なんとなく納得がいかないものの、田所は塾に関してかなり把握している。彼女の言う事に嘘はない。
 宿題そっちのけで頭をひねりだした水乃に、田所は時計を気にしながら言い放った。

「どうせ寝ぼけていたんでしょう。さ、早く準備をしないと遅刻ですよ」

 寝ぼけていた、なんてそこまで断定口調で言わなくてもいいのでは。

「田所って意外に酷い事言うよな……ねぇ、今気付いたんだけどさ」
「何か?」
「早めに塾に行って宿題やった方が、クーラーあるからやりやすかったんじゃ」
「そうですね」
「あたしの苦労は何処へ……?」
「ほとんど寝ていたでしょう」

 呆れた様子で指摘され反論しようと口を開いたが、やや憮然とした表情をするに留めた。
 確かに、眠っていたのだけれど――
 あの夢を見たせいか、全然眠ったように感じないのだ。




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お小言
書くたびに水乃さんの性格がぶっ飛んでいきます。
ただ、木田の中で「水乃」というキャラクターには大変な思い入れがあるため、
大事に、大事に書いていきたい人なのです。