※ このお話は、現在アップされている本編よりも一ヶ月くらい先のお話です! 学生編の時間軸ですが、まだ出ていない登場人物や名称が出てきます。今後の展開に関するなんやかんや、などの重要なものではありませんが、ちょっとしたネタバレでも嫌だ! という方は申し訳ありませんがブラウザバックプリーズッ。




 嘘か真か知らないけれど、話には聞いたことがある。
 ――いわく、世界最高の調味料であると。
 ――いわく、フレンチシェフは修行のためにあえて使うなと言われていると。
 ――いわく、海外でホームシックになると同じ成分の入った薬を渡されると。


title/ホームシックと調味料 前編


「はぁ?」

 本能(もとい、幼い頃からの教育の賜物)で姉には逆らえないとインプットされている大和にしては、呆れた色の濃い素っ頓狂な声が漏れた。
 しまった、と後悔すると同時に大和は素早く回避体勢に入る。案の定、反射といっていい速度で和巳は軽いジャブを繰り出してきた。
 慣れたくもないけど既に身体に染み付いてしまった姉弟の攻防の中に、和巳の声が続く。

「だ――」

 ちょ、ゴメ、ん、なさっ! 大和は途切れ途切れに謝罪を繰り返すが姉の猛攻は止まらない。

「か――」

 姉の口が言葉を紡ぐ間も大和はひぃひぃ言いながら姉の拳を全て避ける。

「らぁっ!」

 最後の一撃を手のひらで受け止めると、パシリと小気味のいい音を立てて姉の腕が止まった。
 気合の入った声に反して力の篭っていなかった拳にほっと一息つく大和の様子など微塵も気にせず、ゴーイングマイウェイ、マイペースなどの言葉を弟の脳内で欲しいままにしている姉がキッ、と目つき鋭く見上てきた。
 蛇ににらまれた蛙よろしく身動きが取れなくなった弟へ、姉は噛み付くように叫ぶ。

「お醤油なの!」
「……はい」

 会話が成立していないのは理解していたが、ここで返答を間違えば今度は足が飛んでくると分かっていたので、これ以上痛い目を見たくない賢い弟は大人しく肯定した。

※※※

 ここでの生活にもだいぶ馴染んで、少しずつではあるが積極的に外へ出るようになった、異世界ライフも一ヶ月を過ぎようという頃。
 大和は何故か、姉に連れ出されて通学路と同じ道を歩いていた。
 お給料をもらってきちんとした形で働いている和巳はどうか知らないが、学生の大和だって忙しいのだ。驚異的なスピードでもって文字は違和感なく読めるようになってきたものの、大和の知識は自分の育った世界を基盤としたものである。だからどうしても追いつかない部分があるのは必然で、故にその穴埋めに費やす時間は大量に必要だった。

(オレだって暇じゃないのに)

 『醤油を買いに(探しに)行こう』と誘ってきた和巳の意図は知れないが、どうせ暇だったからとかそんな理由だろう。大和の機嫌はすこぶる悪かった。
 自然、大和の物言いはつっけんどんなものになる。

「どこ行く気なの」
「サフィルスのとこ」

 棘のある大和の口調を気にした様子もなく姉が告げたのは、近頃出入りするようになった教会に住んでいる青年の名前だった。
 大和も籍を置いている王宮騎士育成特別上級学校、ヘルギウスの広大な敷地内にひっそりと建っている教会の管理者にして神官見習い。落ち着いていながらもどこか気弱な雰囲気の青年と調味料に、なんの関わりがあるのだろうか。

 大和が両者の関連に考えを巡らせている間にヘルギウスの校門を通り過ぎ、校舎や研究院があるのとは違う方向へ二人は歩を進めていた。
 それからしばらく歩き続けると、湖のすぐ近くにあるこじんまりとした建物の屋根が木々の間から顔を出す。ひょこりと伸びた煙突が可愛らしい、あれが目的の場所――教会だ。
 屋根は見えてきたものの、たどり着くまではまだ少し歩かなければならない。その間、森を彩る緑は荒んでいた大和を慰めてくれたが、くつろぎタイムは人の姿が見えてきたことで終わりを告げる。

 まだ大和たちの気配に気付いていないのか、こちらに背中を向けた青年は、日課である草花への水遣りをのんびりとやっていた。
 後ろからだと、若干クセのある髪の毛の長さがよく分かる。
 ひざ裏にまで届きそうなアダマスほどではないにしろ、腰まである髪の色は周囲の葉や草と同系の色だが、それらよりも淡く、黄緑に近い。

「サフィルス」

 姉の呼びかけに、手にしていたジョウロを持ち直して、眼鏡をかけた二十歳前後の青年が振り返った。髪をまとめる白いリボンが揺れる。

「和巳さんに、大和さん……おはようございます」

 彼は突然の訪問に驚いた様子は見せたものの、嫌な顔ひとつせず笑顔で二人に挨拶を返した。

「どうしたんですか、こんな時間から」
「ちょっと聞きたいことがあるのよ。今、時間ある?」

 湖面のようなレリアの薄い水色とは違い、凪いだ海を連想させる濃い青の瞳は眼鏡の奥で穏やかな色を灯し、春に芽吹いたばかりの緑と同じ色をした髪は背中で緩く結わえてある。落ち着いた色彩と物腰が、柔らかな印象を与える青年だ。
 おはよう、と姉弟ともども朝の挨拶を交わして(そう、今はまだ「おはよう」の時間なのだ)、教会の中へ入った。

(何度見ても、面白い)

 そう思いながら、大和が教会に対して抱いていたイメージを真正面から否定してくれる『この世界の教会』を興味深く見回した。
 この世界の教会は、正面になんたら像があってそれに対面する形で椅子が並んでいるのではなかった。世界唯一の宗教にしては簡素なシンボルマークが刺繍された布が壁につるされている以外は、研究院と似たような造りである。
 ただ、利用者がいることを踏まえてか研究院よりは開放的な造りになっているし、実験道具の変わりに様々な種類の本が置かれていた。
 内装を眺めるため少し後ろを歩いていた大和の耳に、前を行く二人の会話が届く。

「勉強のほうはどうなの、サフィルス」
「この時期採れる目ぼしい薬草は一通り育ちました。少しばかり貴重なものも、今年ようやく採取できそうです」
「よかったじゃない。試験を受けるのは今年だったっけ? その調子でがんばってね」

 どちらかといえば大きな町の集会所のようなこの世界の教会は、地域密着型のお手軽に通える相談所という役割が大きい。
 ここのように閉鎖された場所では勝手は違うが、外にある教会ではご近所の皆さんの健康を気遣って薬を作るのが普通なので、神官になるためには薬草の知識が欠かせないのだ。
 そのほか、ヘルギウスのような場所に存在する教会では、カウンセラーのような役割も担っているらしい。

「お聞きしたいことがある、と仰っていましたが……」
「それなんですけど!」

 テーブルの用意された部屋に入るなり訊ねてきたサフィルスに他意はなく、大和もまさかここまで姉が力を入れているとは思っていなかったので、いきなり熱の篭った返答に驚いて一歩下がった。
 さすがに二人が驚いていることに気付き、姉は顔を赤らめる。

「失礼」

 こほん、とわざとらしく咳払いすると、さも重要であるかのように、厳かに告げた。

「醤油を、探してるの」

 おそらくは馴染みのないだろう名前に、こてん、とサフィルスは首をかしげる。
 和巳の不審な挙動からしてよほど重要なのだと考えていたようだが、それが何か分からない状態では驚くことも出来ないのだろう。

「ショウユ、ですか」
「えぇ!」

 色は黒くしかし茶色を帯びていて、大豆っていう豆を――。
 大豆愛好家かと疑いたくなるほど熱く語る和巳に、サフィルスは少々押されながらも真剣に考えてくれている。なんというお人好し。真似したくはない、と考える大和だが、某紅白もちさんからは既に同類として見られている事実を、彼はまだ知らない。

「豆を加工して出来る黒褐色の調味料、ですか」

 一通り醤油への愛を叫んで落ち着いた和巳に、サフィルスは考え込むような表情でしばらく口をつぐんだ。
 それよりも早く座りたかった大和は、一足先にテーブルに歩み寄って席に着く。
 そんな大和を眼にしてようやくテーブルの存在を思い出したらしい二人も、少し遅れてひとまず席に着いた。
 しばしの沈黙を再び騒がしくしたのは、青い瞳の青年が発した軽い一言だった。

「それなら心当たりがありますよ」
「えぇ!?」
「本当に!?」

 姉は嬉しそうに、弟は信じられない、と言いたそうな顔で姉弟はそれぞれ驚きの声を上げた。

「私も話に聞いただけなんですが……」

 ここに来る生徒の一人で、料理が好きな男子がいるのだそうだ。なんでも本腰を入れて勉強しているらしく、食材だけでなく調味料にも詳しいのだという。
 ちょっと変わった調味料として話題のネタに上がったことを、サフィルスが覚えていたのだ。
 しかも、どこで売っているかまで知っているという。
 飛びつきそうな勢いで、和巳が質問を重ねる。

「お店の位置まで知ってるの?」
「はい。気が向いたら行ってみるといい、と教えてもらいましたから」

 やはり和巳の意気込みに引きつつ、それでもサフィルスは律儀に答える。
 まさかこんなに早くたどり着けるとは思わなかったのだろう姉は(大和だってそんな簡単にいくとはこれっぽっちも思っていなかったが)、クロムがいれば間違いなく「騒ぐな!」と注意されそうなほどうかれていた。
 しかし、そんな風に諸手をあげて喜ぶ和巳と反比例して、大和のテンションは下がるばかりだ。視線は遠く、何も見ていないようにうつろな眼でブツブツと小さくぼやく。

「なにそのおつかい展開……ご都合主義……ドラ○エ……?」

 大和のことは半ば無視して、年上組みは会話を続ける。

「地図を用意します。店内に入ったことはありませんが、近くを通ったことはありますから少しは役に立つでしょう」
「助かるわ、お願い」
「力になれて何よりです。……あ、そうだ。せっかくだからお茶でも飲んでいかれませんか?」

 少し休んで行ってもいいでしょう、と言って、今すぐにでも飛び出して買いに行きたい様子の和巳にお茶をすすめた。確かに、少し落ち着いたほうがいいのは明らかである。

「まだ時間はあるでしょう?」

 柔らかな笑顔がとどめとなって、とうとう姉はうなずいた。それでも隠し切れない喜びが顔に表れている。

「じゃ、お言葉に甘えて。あ、でもお茶は私が入れるわ。教えてもらったお礼!」

 目標に一歩近づいた喜びからか、上機嫌な和巳は満面の笑みを浮かべながら足取り軽く台所へ向かった。
 教会内の台所はサフィルス個人のものではなく共有で使えるので、姉も遠慮せずにお茶を用意できる。

「……あの」

 和巳の姿が台所へ消えてさして間を置かずに、小さな声音でサフィルスが話かけてきた。
 声を潜めていることも奇妙だが、何故かサフィルスの様子もおかしい。ひとつひとつの言葉を発するのも、恐る恐る、といった呈だ。

「和巳さんは、料理をなさるんですか?」

 なんだ、そんなこと。
 姉の手料理を食べたことのある大和は、サフィルスのびくついた様子を不思議に思いながら答える。

「しますよ、人並みに。味も普通です」

 あくまで人並み、あくまで普通。必要に迫られるか気が向いたかの理由がなければやろうとしないが、明らかに間違った創作料理を作るとか積極的に謎の物体Xを生み出したりはしない。根本的な部分では、姉は常識人である。……多分。自信ないけど。

「……それを聞いて、安心しました」

 つい先ほどまで大和がしていたような、遠い視線にうつろな眼。言葉と一緒に吐き出されたため息には、安堵の色が濃い。

「魔導研究に携わる方、全員が全員壊滅的な腕ではないんですね……」

 そう、意味深な台詞を吐かれて思わずサフィルスを見返してしまう。
 よく見れば、顔色も若干悪いしかすかに手も震えている。

 誰だ、いったい誰のことを指しているんだ!? そしてこの怯えようは一体……!?
 和巳がティーセットを乗せたカートを押しながら戻ってくるまで、言葉の真意を聞きたくても聞けない大和は自分たち姉弟の保護者である女性の深みある(裏のありそうな)笑顔を脳裏に描いてひたすら震えていた。




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