3.
店員は和巳と世間話(さりげないサービス&セールストーク付き)を交わしながら、購入した物を手際よく袋(紙製)に入れていく。
会話を続ける姉は、大和は滅多にお目にかかれない営業用スマイルを見せながらもどこか楽しげである。大和には真似できない社交性だ。
買い物袋に詰められていく食材は結構な量で、おそらくレリアに頼まれていた分なども含まれているのだろう。
(荷物、重そうだなぁ……)
姉が大和を買い物に引っ張り出してきた理由……気まぐれという可能性も捨てがたかったが、この大量の買い物も当初から予定されていたのなら、荷物持ちとして呼ばれたのかもしれない。
一人結論を出したところで丁度店員が詰め終わり、膨らんで重量を感じさせる袋を和巳に手渡した。
そのまま自分の手に流れてくるであろう荷物に手を出そうとしたが、和巳は「行くわよー」と声をかけて買い物袋を両手に歩き出した。自然、置いていかれる形になってしまう。
予想していたのと違う行動に頭をひねっている間も姉は何度か荷物を持ち直している。しかしこちらに渡そうとする気配はない。
早足で追いつき隣に並んだ大和は、仕方なく自主的に腕を突き出した。
「姉ちゃん、荷物」
すると和巳は、大和の目をまっすぐに見返して当然のように言い放つ。
「私の買い物だもの、私が持つわよ?」
「じゃあなんでオレを連れてきたの?」
荷物持ちだろうと自分の中で決着をつけたばかりなのに、それを真っ向から否定されて大和はこっそり落ち込んだ。あぁ、やはり気まぐれという名のわがままか。
しかし和巳の口から出てきたのは意外な名前だった。
「だって、クロムが」
そこまで言いかけたかと思うと、大和の顔を見つめたまま黙ってしまう。眉間に少し皺がよっているが不機嫌ではないように見えるので、口を滑らしたとでも思っているのか。
「クロムが?」
大和は大和で、怪訝さが眉間に表れる。
本当はひとつ年上だけれど現在は同級生の少年の名前がどうしてそこで出てくるのか。さっぱり訳が分からない。
しばらく見詰め合ったあと、先に目を逸らしたのは姉のほうだった。
「……いや、やっぱりなんでもない。持ってくれるなら、はい」
遮って、食材の入った鞄を手渡される。けれど醤油の入った紙袋はいまだ姉の腕の中にあり、どうやらそれだけは自分で運ぶつもりのようだった。
発言を遮った理由も、どうしてそこまで固執するのかも、大和には全く理解できない。
「まぁ、いいや」
考えることにすら疲れを感じてしまい、小さく呟くと考えることを放棄した。
こんな場所に来る機会はあまりない。今のうちによく見ておこう。
※※※
あれからまたいくつかの店で食材を購入して、荷物は少しずつ増えていった。それでも二人で無理せず運べる量だったので、買い物は順調に進んだ。
市場に足を踏み入れたときはまだ午後を少し回ったくらいの時間だった。しかし、何軒か店を回って買い物をするうちに陽は傾き、レリアの家に帰り着く頃には夕方といっても差し支えない時間になっているだろう。
「……」
「……」
大和も和巳も互いに喋らない。二人でいても沈黙は怖くないからだ。話すことがあれば口を開くし、なければ閉じる。今の大和は姉の全て疲れていて、会話をしようという気になれなかった。
もうすでに市場からは遠のいており、人の通りも落ち着いている。
住宅街に向かう路へと足を進めるなか、会話を切り出したのは和巳だった。
「ねぇ、大和」
「なに」
少しの間を挟んで、和巳の言葉は続く。
「私たちがここに来てから一ヶ月くらい経ったわよね」
「……まぁ、うん」
「向こうの世界なら今頃、五月が終わる頃だと思うの」
確かに、こちらに来たとき、元いた世界は進級してまだ浅い、新しいクラスに慣れてすらいない時期だった。
「正確な日にちはわからなかったからずれてるだろうし、どういう基準で決めればいいのかは分からないけど」
やけに遠まわしな言い方をするので、言葉の真意が掴めず大和は戸惑った。
戸惑って、立ち止まって。姉も数歩先で足を止める。
「十五才、おめでとう」
背中を向けたまま発された一言は、それでも何故かよく聞こえた。
あっけに取られて口を開いている間に、姉は止めていた足を動かし始める。徐々に遠ざかるその背中を呆然と見つめたまま、縫いつけられたように大和の足は動かない。
姉が唐突な思いつきで行動を起こすのはいつものことだし巻き込まれることも多いが、ここまで強引なのは珍しかったと遅まきながら気付く。
(もしかして、このために……?)
確かに大和の誕生日は五月の後半だ。
連れまわしたのも、調味料探しに躍起になっていたのも、全てその一言のためだったのだろうか。
だとしたら、なんという遠回りで分かりにくい誕生祝い。
(……って! 追いかけないと!)
ぼけっとしている間にずいぶん開いてしまった距離を埋めるため、慌ててあとを追う。
コンパスは大和の方が長いのに、和巳はスタスタと足早に歩いてなかなか追いつかせてはくれない。手にした荷物を落とさないようにと気遣いながらだと、余計にスピードは落ちてしまう。
「待って、姉ちゃ――」
口に出して呼び止めると、目の前の背中が唐突に動きを止める。だが、姉が大和の呼びかけに応えたわけではないことはすぐに分かった。
「何してるの、そんなところで」
ようやく追いつ並び、和巳が見ているのと同じ方向を見て大和も驚いた。
視線の先には、外出用マントを羽織った小柄な人影。
「あ……あれ? クロム?」
和巳も彼も何も言わないので、大和が問いかけるように名前を呼ぶ。
そこには、白い髪に赤い瞳という目を引く外見の少年が、壁にもたれて腕を組んでいた。
「お前たちが遅いからだ」
クロムは呆れ交じりの溜息を吐きながら二人に近づき、自然な動作で姉から荷物を奪う(受け取る、ではない。奪う、と表現するのが正しい手つきだった)。
和巳が荷物を取り返そうとするより前に、クロムは踵を返してレリアの家へと歩き始めてしまう。
クロムの、紳士的なのに素直にそう認めるのが悔しい態度はいつものことだが、わざわざ迎えに来るというのは珍しい。納得いかず不満そうな顔の和巳と、鮮やかな手際に感心する大和は並んでその後ろを歩いた。
それからはただ、ひたすら無言で家路に着いた。
※※※
帰宅するなり台所にこもった姉は「邪魔したら殴る」オーラを発していたので即行で一度部屋に戻り、そのままでは眠ってしまいそうだったので風に当たりに外へ出た。
外、といってもいわゆる庭であり、この世界の庭としては標準装備の、テーブルと椅子のセットが設置してある。
何度か使わせてもらっている椅子に思いっきり体重を預け、全身から力を抜く。
二、三度深呼吸を繰り返してから、庭の右から左へと一度だけ視線をめぐらせた。
「広いよねぇ……」
誰かにはっきりと明言されたわけではないが、レリアの家がそれなりに『高級』の部類に入る住宅であることはさすがに察しがつく。
外見こそ豪奢ではないが、そのぶん造りはしっかりとしており、内装もシンプルながらに良質と分かるものが多い。必要以上の装飾をしない4DKマンション暮らしに慣れた身には、その気配りとセンスに感心するのみである。
(まぁ、レリアさんだし)
立ち振る舞いからして上品な印象を受けるレリアだ。このくらいは造作ないのだろうと、昼前に目撃してしまったサフィルスの青ざめた顔を思い出さないようにしながら納得する。
こぢんまりとはしていたが、さすが高級住宅街。庭は不自然でない程度に手入れがされ、これまた家主のセンスを感じさせる体裁で整えられていた。
夏も本番にさしかかろうかというこの時期でも、内陸のこの国は夕方になれば冷え込んでくる。日本とは違って湿気を含まない初夏の風がその庭を通り抜け、心地よく身体を冷やしてくれた。
「……ふぅ」
歩き回って疲れた身体では予定していた勉強に身が入るはずもなく、大和はぼーっと庭の緑を眺めていた。
別に勉強することが好きなわけじゃない。実際、元の世界でも真面目に取り組んでいたとはとても言えない授業態度だった。
だからこそ。
(……追いつこうって、必死で)
焦っていたのかもしれない。
いつの間にか一ヶ月も経っていて、元の世界に帰るためにと必死に知識を身につけようとして勉強漬けの毎日。それでも追いつけはしない現実と、募るばかりの不安と。そればかりが頭の中をぐるぐると巡っていた。
季節のずれのせいもあるだろう。けれど、ひとつ年をとったなんて、自分でも気づかなかったのに。
家に帰ってからはそればかりぐずぐずと考えてしまう。
姉が覚えていてくれたことも祝ってくれていることも嬉しいと感じる反面、やはり強引に連れ回されたことに腹を立てているのも事実で。
駄目だ、とは思いつつも溜息が漏れる。
「――少しは息抜きできたか?」
「へ?」
突然話しかけられた驚きで素っ頓狂な声を上げながら声のしたほうを振り返ると、外出用マントを脱いで軽装に着替えた、クロムの姿が。
ちょうど屋内から中庭へ一歩進んだ位置で止まり、大和のように椅子には座らない。
突然だったせいもあって質問の意図がつかめず答えないまま黙っていると、クロムは別段気にした風もなく言葉を続けた。
「このところ、勉強詰めだっただろう」
「あ……」
言われて初めて、休みの日にもほとんど外出していないことに気づいた。同時に、言いかけて結局最後まで聴くことのできなかった姉の言葉も思い出す。
――だって、クロムが――
あれはもしかして、そういう意味なのだろうか。
買い物も醤油探しも、和巳の性格をよくよく鑑みれば一人で準備をしそうなものである。それをわざわざ外に連れ出したのは、この少年の助言があったからだと考えれば辻褄が合う。
ここ最近の自分の姿を振り返ってから、相変わらず問う。
「ねぇ、オレそんなに切羽詰ってるように見えた?」
「少なくとも、休みなしで部屋に閉じこもっているのは健康的ではないな」
その迂遠な言い回しが、今日一日の姉の行動と重なる。
意地っ張りでカッコつけで、なんだかんだ言い合いながら似た者同士の二人。そしてその二人に気遣われて振り回された自分。
「……うん。疲れたけど、楽しかったと思う」
「なんだそれは」
結局どっちなのかいまいち判断し辛い返答に、クロムは不服そうな顔をした。
疲れたのは事実だ。不満だったことも。けれど、大和のことを心配してくれていたのだと考えると、なんだか許せる。
わかりにくい形ではあったが、和巳もクロムも、自分を気にかけてくれていた。それを思うと、知らず知らずのうちに笑みがこぼれた。
「ありがとう」
そんな気遣いが嬉しくて、素直な気持ちを口にした。クロムのほうは礼を言われたことに対して反論しようとしたが、リビングから響いた和巳の声に遮られる。
「――晩御飯が出来たわよ、運ぶの手伝ってちょうだい」 「はぁい!」
姿の見えない姉に聞こえるよう大きな声で返事をしてクロムのほうを振り返ると、反論のタイミングを逃してなんともいえない表情をしている。
二人の気遣いに気づいてしまった大和は、どんな些細なことでも可笑しく感じてしまい、声を立てて軽く笑った。
「ほら、早く行かないと姉ちゃんうるさいよ?」
「……確かに」
不承不承ながらも説得力のある大和の言に肯き、クロムは一足先に屋内へ戻った。そのあとに、ゆっくりとした動きで大和が続く。
適度に乾いた風にさわさわと木々が揺れた。日が沈むまでは、まだ少し時間があるだろう。
――そうして久しぶりに食べた肉じゃがは、やはりいつも家で食べるのと違う味で、けれどどこか懐かしい味がした。