いつだって、夢は遠い。

title/アイドルは難しい


 ショッピングモールの一角に設けられたイベント会場は、休日の午後ということもあってそれなりに賑わっている。
 イベントを目的に来たであろう集団もいれば、たまたま家族や友人連れで遊びに来て、興味本位で覗いているのだろうと思わせる人の姿も伺える。
 観客よりも少しだけ高いステージの上に、パフォーマンスを披露する側として並びながら、実琴は客席の様子を眺めた。

(――あぁやっぱり)

 少ない、という言葉も感情もすべて飲み込んで、息を吸った。今日の第一声は実琴の担当だった。

『はぁーい、みなさんコンニチハ!』


 マイク越しの明るい挨拶に、観客のうち数人が拍手で応えた。応えてくれた相手の顔に見覚えがあるのは、それがサクラなどではなく地方のイベントにまで足を運んでくれる熱心なファンで、そういう人は大抵ライブでも最前列にいるからだ。
 たとえどんなに少なくとも、応援してくれる人がいるというのは嬉しいことだった。嬉しい、というよりは「安心する」という方が正しいかもしれない。

『あなたのハートにsweet time! キャンディ☆ポップです!』

 掛け声もなしに揃う名乗りとポーズは手慣れたもの。挨拶に続いて司会進行をするリーダーの、グループ紹介の台詞も何百回と聞いた。新曲の説明に真面目な表情で頷き、最後の言葉を待つ。曲の紹介が終われば待っているのは当然生歌の披露である。

『それでは私たちの新曲、聞いてください――【恋のアタッチメント】』

 タイトルにお似合いな、馬鹿馬鹿しいまでにポップなイントロを合図に、自分の立ち位置に着いた。その顔にアイドルとしての笑顔を張り付けて、それを観客に振りまくように。

 ***

 地方の小さなイベントとはいえ新曲の披露は緊張するものだ。実琴を除くメンバーの四人は一仕事終えた安心感からか、若干気の抜けた雰囲気で控室に向かう廊下を歩いていた。

「ありがとうございましたぁー」
「お疲れ様ですー」

 たとえどんなに気が抜けていても、みんな誰かとすれ違うたびに笑顔で挨拶をする。もはや条件反射と言っても差し支えないそれを十回ほど繰り返して、ようやく控室にたどり着く。
 ――笑顔を保てたのはそこまでだった。パタン、と控室のドアが閉まるなり、実琴は表情を消して「ねぇ」と一言声をかけた。
 低く咎めるようなその声音に込められた感情は明らかで、仕事終わりの疲労感に緩んでいた空気は一気に凍る。
 苛立ちを込めた瞳で見つめる先にはただ一人。凍った空気が充満する控室の中で、そんなものは知らないとばかりに唯一帰り支度を始めている最年少メンバーだ。

「紗菜、新曲二番のBメロで入りが遅れたのはどういうこと?」

 名指しされた当人は鏡台の前で始めた化粧直しの手を止める気配はない。むしろ、鏡越しに投げかけてくる視線は鬱陶しいと言わんばかりだ。隠す素振りすらないそれは、実琴から見て「生意気」の一言に尽きる。

「喉の調子が良くない。それだけ」

 実琴にとって生意気の塊である葛城紗菜(くずきさな)は、歌もダンスもビジュアルも、その全てが高い位置でバランスのとれた、まごうことなきキャンディ☆ポップのエースである。
 日本人にしては色素の薄い髪は豊かに波打ち、まとめられることなく背中まで垂らされている。光の加減で時折青く見える眼は天然物の二重で、これまたぱっちりとしていて大きい。色白の肌に薄く刷かれた桜色のチークがよく映えていて、一言で形容するならフランス人形のような愛らしさを持つ少女だった。実際、曽祖父あたりがフランス人であるらしい。

「不調があるなら先に言って。何かあった時にフォローに入る心構えがあるのと無いとじゃ大違いなの、わかるでしょ?」
「……年上で先輩だからって、指図しないでくれる」
「指図されたくないなら事前に言って。やることやらないから言ってるんじゃない」
「ステージに支障はないと思ったから言ってなかっただけ。子供じゃあるまいし、そこまで言わなきゃいけないわけ?」
「現に本番で歌い出しが遅れたじゃない! しかも新曲、完璧に仕上げた状態で披露するのがプロってもんでしょ!?」
「あの程度なら許容範囲じゃん! 新曲披露っていってもちっさいイベントだし!」

 とうとう我慢しきれなくなったのか、椅子を蹴って立ち上がった紗菜が実琴の方へ身体を向ける。そんな紗菜に更なる言葉を返そうと実琴が一歩足を踏み込んだ瞬間、ノックもなしに控室のドアが開けられた。
 驚いて振り返ると、眉根を寄せて厳しい表情をしたマネージャーが部屋に入ってくるところだった。
 こんなみっともない内輪揉めを部外者に見られたのかと一瞬肝を冷やしたが、少なくとも闖入者が身内であったことに安心する。他の面々も、実琴と紗菜の口論が止んだことにほっとしている様子だった。

「……なにやってる」

 マネージャーの一言にリーダーの有原柚希(ありはらゆずき)が近付き、事の経緯を簡潔に説明する。有原の話を聞いてすぐに状況を把握したらしいマネージャーは、眉間のしわはそのままにため息をついた。

「皆塚、お前は人のことを気にする前に自分の仕事をしろ」
「してます。今日の内容にどこか不備がありますか?」
「言い換える、メンバーを叱るのは皆塚じゃなくてリーダーの有原の仕事だ。お前はサブとしての役目を全うしろ」

 葛城よりも先に注意を受けたことにむっとして言い返せば、バッサリと切り捨てられる。お前はリーダーじゃない、とは常日頃から言われていることだった。反論すればまた注意されると分かり切っていたので、実琴はひとまずは口をつぐむ。もちろん納得はしていない。

「葛城も、ステージの上で何かあれば助けられるのはメンバーしかいないということを念頭におけ。特に体調面は一歩間違えれば事故につながる」
「……はい」

 注意された葛城は納得していな顔であるが、実琴と違い反論はしなかった。

「何はともあれ、みんなお疲れ様。今日の仕事はここまで……と言いたいところなんだが」

 苦虫を噛み潰したような顔でマネージャーが言いよどむ。悪いニュースの予感に、控室の空気が変わる。

「他に何かあるんですか?」
「仕事は終わりだ。ただ……社長からの伝言だ。『今回の新曲、チャートで十位以内に入らなければ解散』……だ、そうだ」

 グループの存続に関わる重大発言に、方々から驚きの声が上がった。

「そんな、まさか」
「解散だなんて……!」
「そもそも十位以内って、無茶な話じゃ……」

 とはいえオリジナルメンバーである実琴と柚希は慣れたもので、動揺も少ない。現に、柚希などはマネージャーに対して「その企画に伴う何らかのプロデュースおよびイベントはあるんですか?」と質問までしている。
 柚希のその問いは、暗に「また社長の気まぐれじゃないんですか」と告げていた。

「わからん。ただ、来週のアイドルフェスで何か仕掛けようとしているのは間違いない……止めてる最中なんだが」
「……さすがに、よそ様のアイドルがいる中でそういうサプライズはやめて欲しいですね」

 苦い顔をする柚希に、戸惑った様子で明田(あきた)みかんが「あの」と会話に加わる。

「そもそも事前に私たちに伝えていいんですか?」

 サプライズ、という単語に引っかかったようだ。確かにサプライズでやるなら、このようにマネージャーの口から聞いていい話ではないはずである。

「みかん、これ正確に言うと伝言じゃないから」

 呆れと諦観のため息を吐きながら実琴が答えた。
 弱小事務所バンビーニの社長はたいそうなワンマンでサプライズ好きである。所属タレントはもちろんのこと、マネージャーなどのスタッフ陣も振り回されているのだ……こうやって、漏れ聞こえてきた社長のマル秘企画を事前に教え合うようになるくらいには、お互い苦労している。

「こっちはこっちで情報を集めるから、お前たちもそれなりの対策はしておけ――さ、撤収するぞ! もたもたするなよ!」

 パンパン、という手を打つ音とマネージャーの掛け声に、「はい!」と全員で応えて一斉に帰り支度に取り掛かる。専用の控室でない以上、長時間占領するのはよろしくないのだ。

 
 ***


 メンバーと別れて帰り着いた家に人の姿はなく、その時点で同居人でもある年の離れた兄が今日は帰宅しないことを悟った。
 仕事で忙しいということは重々承知していたが連絡のない兄を労わる気持ちもなかったので、内心で散々罵って夕飯の準備に取り掛かる。
 最低限カロリーにだけは気を配った野菜炒めと小さな茶碗一杯分の五穀米。一人分の料理をローテーブルに並べ終えたはいいが自身の咀嚼音さえ聞こえそうな静寂が嫌で、パチリとテレビをつける。バラエティもニュースも気分じゃない。実琴はレコーダーの再生ボタンを迷いなく押した。

『――まだまだ、こんなもんじゃないよねぇー!』

 どっ、と液晶画面の向こうで歓声が上がる。一人きりなのは変わらないが、無音でないというだけで安心感があった。

『それじゃあ次の曲、行くよ!』

 一瞬の暗転ののち、小さくイントロが流れる。シンプルなスポットライトを一身に浴びる少女が力強く歌い始めた。ゆったりとしたサビから始まった曲はAメロにかけて徐々にテンポを上げていき、否応なしに期待感をあおる。爽やかなギターサウンドが乗りに乗ってきたところで他のメンバーも歌いだせば、あとはその波に乗るだけだった。
 あぁ、やはり彼女たちのパフォーマンスは最高だ。何度聞いても聞き飽きないそれに耳を傾けながら、小さく「いただきます」と手を合わせる。
 ――かつて、アイドル戦国時代と呼ばれた時代があった。一昔ほど前のことである。
 連日チャートの一位をどこかのアイドルグループがもぎ取り、奪い合い、いろんな椅子を取り合った。ヒットチャートはもちろんのこと、テレビやラジオなどのメディアの枠に、大きなイベント会場でのライブ、グッズ売り上げ、SNSのランキング。熾烈な争いを繰り広げ、日夜いろんなものが飛び交った。
 今やそのブームは過ぎ去り、影も形もない。飽和状態にあったアイドルたちは淘汰されつくしたといっても過言ではないだろう。

(……この頃とは、何もかもが違う)

 ぼんやりと眺める液晶画面の向こうで、その戦国時代を駆け抜けた末に解散したアイドルたちが踊っている。大きなステージで高らかに歌い、踊る彼女たちは何度見ても輝いていた。
 これぞアイドル、これぞ自分の目指すもの――幼いころから憧れて、追いつきたくてここまで来たのに、その背中を見ることさえ許されない今の自分に情けなくなるのは何度目か。

(時代を言い訳にはしたくないんだけどなぁ)

 皆塚実琴(かいづかみこと)、二十一歳。職業アイドル。弱小芸能事務所バンビーニ唯一のアイドルグループにして最大の稼ぎ頭、キャンディ☆ポップのオリジナルメンバーにして現サブリーダー。
 高い位置で結ったツインテールは一度も染めたことのない黒髪。大きめの双眸はやや吊り上り気味。どこか猫を髣髴とさせる顔立ちで、微笑む姿は小悪魔的というより悪戯好きな子供のような印象を与える。メンバー内で最も身長が低い(公称151センチ)ことと年齢よりはだいぶ幼く見えるいわゆる童顔なおかげで、一定の層からの人気が高い――。
 彼女の名前を検索すれば集まる、「皆塚美琴」の簡単なプロフィールだ。
 そんな実琴の所属するアイドルグループ、キャンディ☆ポップは、元ミュージシャンのワンマン社長が自らオーディションを行って集めた精鋭部隊だ。地方のスクール出身者の中から選りすぐった、それこそエース級のメンバーたち。
 アイドル戦国時代と呼ばれ持て囃された十年ほど前であれば、さぞ話題を集めただろう。

(いや、それも単なる妄想だよね)

 数多くのアイドルがいるということは、それだけライバルが多いということだ。求められる要求は高く、トップアイドル行きの切符は常に奪い合い。加えて、その切符は掴んだと思った瞬間ただの紙切れに変わることだって少なくない。結局のところ、現状自分たちの収まるべきところに収まっているような気もした。
 キャンディ☆ポップは五人組のアイドルグループである。コンセプトは「ポップでキュートな楽曲で、私たちと一緒に甘い時間を過ごしてね!」という、なんとも収まりのわるいもの。今年メジャーデビュー四年目を迎えた、新人とも中堅とも言い難い立ち位置にいる。何度かメンバーの卒業と加入を繰り返しつつ今の形に落ち着いたのが二年前。
 ランキング最高位は深夜アニメのタイアップが付いた3thシングル「Girl meet Song」の十九位。グループとしてのレギュラーは社長のコネでねじ込んだラジオが一本と、地方局の深夜番組のコーナーが一つ。あとは各々、何らかの媒体に一本から三本程度の仕事を持っている。
 お世辞にも売れている、などとは言えない。けれど活動の場は与えられているし、それなりの結果も残していると思う。液晶の向こう側にあるような、大きなライブは遠い夢ではあるけれど。
 満腹には程遠い食事を終えて、程よく冷めた緑茶に口をつけた。アイドルとして日々の食事制限は必須である。ただしストレスを溜めない範囲で。
 眺めていたライブ映像を切りのいいところで停止すると、地上波のテレビ番組に切り替わる。どうやら夕方のエンタメニュースの時間らしく、画面上には『四作連続1位!!』の文字が華々しく表示されていた。

『――四作連続首位、おめでとうございます!』

 大げさな様子で一人拍手をするレポーター。その祝辞を受けて「ありがとうございます!」と数人が声を上げる。
 並んだ面子に、あ、と思ったが時すでに遅し。あまり見たくはなかった姿を画面上に認めてしまって、実琴は「奏(かなで)」と口だけ動かした。

『20XX以降、女性アイドルグループとしては久々の快挙ですが、その心境は――』

 テンションの高いレポーターの問いに、自分が言われたわけでもないのに「気持ちがいいんだろうな」とむなしく思った。
 チャート一位獲得、ゴールデン番組出演、一万人規模のライブ開催――そんなことが可能なアイドルはただ一組しかいない。
 かつて数えきれないほどにアイドルが溢れていた戦国時代。その終焉の後、トップアイドルの座に君臨した、たった一組の名前はMetrotic(メトロティック)。それは今や誰もが知る国民的アイドルグループであり女王である。
 同じアイドルという舞台に乗っていても決してすれ違わない遠い存在。当然一緒に仕事をしたことなんてないし面識もない。
 ただ一人を、除いて。

『――すっごく嬉しいです! 特に今回の曲は大好きな○○さんの作詞作曲で――』

 実琴は衝動的にテレビの電源を切った。ぶちん、電源の落ちる音が、実琴の中にある何かも切ってしまったような感覚だった。

「……」

 頭の中をぐるぐると、マネージャーの言葉が埋め尽くす。
 次の新曲、チャート十位以内に入らなければ解散――。
 本当にやるのかもわからない企画だが、社長の好きそうな内容だな、とは思った。けれどそれよりも先、一番最初に思い浮かんだのはMetroticの存在だった。
 チャート十位入り――今、確実にそれができるのは彼女たちしかいない。雨森奏(あまみやかなで)のいる、Metroticしか。

(私たちにできるとか、本当に思ってんのかな。社長は)

 ささくれだった気持ちが不安や悔しさを煽って、普段は押し隠しているものが溢れそうになる。実琴は小さく唇をかんでその波に耐えた。

「……片付け、しないと」

 波が引いた後に訪れたのは目の前にある現実だった。気持ちを切り替えるために小さく「ごちそうさま」と呟いて、食器類を片付ける。一人きりのリビングに食器の音が、やけに空々しく聞こえた。
 ――自分の実力を疑ったことはない。
 小柄で肉付きの悪い実琴はグラビアなどの仕事にこそ向いていないが、地元のスクールで培ったダンスと歌唱力は今のアイドル業界でもトップクラスの自信がある。
 ビジュアルだって、白い肌に黒髪という清楚系アイドルの基礎を押さえている。小柄な体躯と童顔に甘い声は少々癖のあるラインナップだが、それらは全てアイドルとしては確かな武器だ。
 ――やめたい、と思ったこともない。
 弱小とはいえ事務所に所属し、定期的にCDを出すことのできるこの環境がどれほど恵まれているのか。それが理解できないほど実琴は馬鹿ではなかった。

(今日は疲れたし、もう寝よ)

 やめたい、と思ったことは本当に一度もない。けれど「何故」と思ったことは何度もあった。
 私の方が、歌もダンスも上手いのに――。
 自分の中にある醜い感情に蓋をできない。

(……それだけじゃ売れない世界だって、わかんないような馬鹿じゃないけど)

 それを僻まずにいられるほど、実琴は出来た人間でもないのだ。


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