title/紅白もち



「お前たち、何をしている」

 低く、しかしまだ抜けきれない幼さを押し隠したような声だった。
 首筋にヒヤリとした感触。

「ここはヘルギウスの敷地内――特待生には剣の使用が認められている」

 あぁ、これは剣なのか。
 和巳は自分の首筋に当てられているものが、人を殺すための凶器だと知った。
 けれど全てが唐突過ぎて、現実味を帯びていない。感覚が麻痺しているのか、驚きや恐れの類は胸中に浮かんでこなかった。
 ただ、目の前の人間をじっと見つめる。
 足元は皮製らしきブーツ、靴より若干薄い茶色で統一された服は見慣れないデザインで、上には肘までの長さしかないマントのようなものを羽織っている。色は白く、首元も隠していた。

「……なんだ?」

 不可解で不機嫌で不愉快極まりない、とでもいうように寄せられた眉。
 やや吊り上った小生意気な双眸。
 決して鋭角的ではない顔の輪郭線。
 細くしなやかな、一目で成長途中と分かる体躯。

 全てが十代中頃の少年らしさをまとっていたが、放つ雰囲気や態度は冷たく、そのアンバランスさが危うい印象を与える。
 おそらく美形と呼ぶに相応しい外見なのだろう。だが、黒髪と茶眼に見慣れた和巳からしてみれば、真っ先に眼を奪われるのは少年を飾る色のコントラストだ。

 さらさらと風に遊ばれる髪は、陽に透けても輝くことのない、まるで紙のような白。
 眇められた瞳の色は――鮮やかな真紅だった。

(結婚式に来たら喜ばれそうな色ね)

 白と赤、まったくもっておめでたい色である。状況は全然おめでたくないが。
 和巳の頭にはとりとめのない、現実逃避にも似たことばかりが浮かぶ。
 だって、これが現実?
 ありえない。剣を持つ人間も、ファンタジーみたいな格好をした少年も、全てが現実的じゃない。
 反応を返さない和巳に不信感を強めたのか、少年は手にした剣をさらに近づけるようなそぶりを見せる。日常生活で見ることのない凶器の接近に、反射的に肩が揺れた。

「っ……」
「やめろ!」

 珍しい大和の叫び声。思わず視線を正面に戻しそうになって、ギリギリのところで留まる。多分、今動くのは危険だ。
 代わりに少年の顔を見返せば、真紅の瞳に少しばかり驚きの色が覗いていた。まるで大和が叫んだことを「意外だ」とでも言うように。

「無抵抗の人間に刃物を向けるなんて、非常識だろ!」

 いいぞもっと言ってやれ! 口喧嘩なら和巳の方こそ得意分野だが、さすがに命を握られている状態で啖呵を切る覚悟はなかった。
 少年の視線は和巳を通り越して大和へと向けられていたが、手にした刃は微動だにしない。意識は常に向けられているということか。

(落ち着け、落ち着きなさい私)

 あまりにも非現実的な現実から逃避しないために、和巳は自身に何度も言い聞かせた。
 逃げるわけにはいかない。ここには大和おとうともいるのだから。

「非常識はお前たちの方だろう。ここをどこだと思っている?」
「知らない! 目が覚めたらここにいただけだ!」
「そんな馬鹿な話があるか。嘘を吐くならもっとましな嘘にしろ」
「嘘も何も本当の話だし、ここが何処かは俺たちの方が聞きたい!」

 自分を挟んで行われる言葉の応酬に耳を傾ける。どんな情報でもいい、とにかく今和巳たちが置かれた状況を把握する必要があった。

「ここはヘルギウスの敷地内だ。知っていて入り込んだんじゃないのか?」
「へる……? そんな変な名前の場所知らない。っていうかその物騒なもの早く姉ちゃんからどけてくれ!」
「明らかに学生でも職員でもない、不法侵入と思しき不審者相手に得物を下げる馬鹿がいるか」
「こっちが不法侵入ならそっちは銃刀法違反だろ! 言っておくけど銃刀法違反って抜き身の包丁とかでもひっかかるんだからな! それ完全にアウトだからな!」
「訳のわからんことを」
「あと付け加えると脅迫罪も成り立つから! もうダブルアウトだぞ、スリーアウト攻守交替の前にそれを下げてってば!」

 弟よ、さすがにそれはどうかと思う。
 和巳ですら呆れる大和の喚きに戸惑ったのか、少年の瞳に若干困惑の色がチラついた。

「一体何の話なんだ……」

 ひたすらにうちの弟が申し訳ありません、という心境である。ただこの脱力感にほだされて、どうか態度を和らげてくれないだろうかと淡い希望を抱いてみたりはした。
 そのためにも警戒されるような行動は慎まなければ、と和巳は必死で剣から逃れようとする自分の身体を抑える。
 が、そんな和巳の密かな努力は報われることなく、少年の発した言葉で木っ端微塵に砕け散った。

「……まぁ、たとえそんな馬鹿らしい話があったとしても、お前たちが不審者であることに違いはない」
「だから俺たちはっ」
「大和、ストップ」
「姉ちゃん?」

 顔の見えない弟が、焦りながらも自分の言うことをきちんと聞いていることに安堵する。

(大丈夫、この子がいるなら、私は冷静になれる)

 ここはどこかの敷地内で、おそらく何かしらの許可がないと入れない場所だ。詳細は分からないがおそらく学校。見知らぬ人間がいたら警戒されて当然なのかもしれない。
 となれば、取れる選択肢は限られる。
 和巳は鮮やかな色彩の瞳を見つめ返し、はっきりとした口調で少年に告げた。

「不本意ながら私たちがここに入るにあたって許可を得てないのは事実よ。でも私たちが覚えてないのも本当なの。私たちの意思でここにいる訳じゃない」

 早口にならないよう注意しながら言葉を紡ぐ。少年の赤い瞳がこちらに向いたことを確認して、それを逸らさないよう真っすぐに見返した。

「警察なり警備員なり呼んでちょうだい。連れていくっていうなら抵抗しないわ。ここにいる理由を知りたいのは私たちも一緒だもの」

 この少年は説得されてくれない。
 どのような因果でこうなったのかは分からないが、彼が警戒するに足るだけの条件を、和巳たちは満たしているのだ。同時に、こちらの話に耳を傾けるなど絶対にしない、とも確信している。
 あまりの頑なさため息をつきたい気分だが、一呼吸するのにも注意を払うこの状況では難しい。

「随分あっさりと引くな」

 引かざる負えない状況の作り手が何を言う。もう少し粘れば警戒心を解く、なんて都合のいい展開は用意されていないだろうに。
 胡散臭そうに和巳を見やる視線が妙に神経を逆なでするが、ここは我慢のしどころ。
 二人は確かに潔白で、やましいところなど何一つとてない。ならば少年に対して引け目を感じることもない。和巳は堂々と胸を張った。

「引くもなにも選択肢は一つじゃない。他にあるんだったらぜひ教えてほしい所だわ」

 よろしくないと理解しつつも、嫌味を含んだ声音は隠せなかった。短気は損気、分かっていてもこの状況で八つ当たりを止められるほど大人じゃないのである。
 突きつけられた凶器が、剣などという馴染みのない物だったことも影響しているかもしれない。感覚が麻痺し始めたらしく、身近に迫る刃のことなど忘れて少年を軽く睨んだ。

「どうせ聞く耳持たないんでしょ。だったら話の分かる人に代わってほしいのよ」

 それは和巳の偽らざる本音でもあった。
 こちらとしてはここが何処で、何故姉弟揃ってこんなところに居るのか……といった疑問に答えてくれる存在が必要である。
 決して好意的ではない少年の態度からして、それらを親切に教えてくれるとは到底思えない。
 そもそも、和巳たちがここに居る理由を知っているなら今なお首筋に触れているこれは何なんだ。誰でもいいから教えてくれ――和巳が半ばやけっぱちに胸中で願ったとき、少年の身体が動いた。


「――誰だ!」


 鋭い、腹の底から出したような気迫ある声だった。
 誰何と同時に少年は身体を翻し、ついでに触れていた剣も和巳の身から離れた。
 だが、和巳の脳はそんな緊急事態に対応できるほど回転が速くない。頭自体は悪くないが、なにぶんこういったことに対する経験が絶対的に足りていない。

「は……?」

 間抜けな声を出しつつ、和巳は少年を見上げた。
 つい先ほどまで正面を向いていた身体が、今は後姿を見せている。後ろの高い位置で一括りにされている白い髪が風に煽られ揺れていた。長さだけなら和巳と同じくらいかもしれない。
 男子のポニーテールって珍しいなぁ。
 と場違いなことを考えつつ、少年の手にしている剣の切っ先が向かう方向へ視線を転じた。
 特に思うところあっての行動ではない。なんとなしに「何かあるのだろう」というだけでそれを目に入れ――すぐに後悔した。

「く、ま?」

 熊にしては小柄で耳のとがった、しかし色合い的には確かに熊な動物が、茂みの向こうから三人を見つめ――いやむしろあれは凝視だ。エモノを逃がしてなるものかという気迫の篭った凝視だ――グルルルル……と不吉な唸り声を響かせながら、何故か、こちらに、あろうことか、信じられないことに――爪を向けた。

(やっぱりここ、森だったのね……!)

 この発見はもしかしたら冥土の土産になるかもしれないな、なんて能天気な考えが頭を掠めた。
 森の熊さんが笑ったように見えたこと、多分、勘違いじゃない。


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第一異世界人・メインキャラ登場。
白い髪に赤い目ですが、彼はアルビノではありません。